銭崗古鎮は広州から北に約40km、今の行政単位では従化(Cong Hua)市に所在します。
尚、『従』の文字は簡体字では『人人』(これで1文字)となっています。
また、右の地図は少し古く、広州の白雲空港の位置が以前のもので、現在は北方の花都区の方に移転しています。

例により先ずは地図で場所を確認してみましょう。(この地図は恵州の項と同じ物です)

2006年1月2日

2006年の新年の正月を中国で迎え、1月1日は広東省の恵州へ足を運びました。
さて、翌1月2日はどこへ?私の旅の道しるべである『中国古鎮游』(陜西師範大学出版社刊)で検討の結果、滞在地から日帰りで行ける広州の北に所在する『銭崗(Qiang Gang)古鎮』に目標を定めました。。

《広州近郊・銭崗(Qiang Gang)古鎮》

家々の壁は日干し煉瓦です。当然ながら焼き煉瓦と比較して強度が格段に劣ります。とはいえ旅行者である通過人にとってはそんなことよりもその中に『美』さえも見出せるのでした。
迷い迷い途中で数回道を訊ねながらでしたが何とか辿り着きました。どうもあまり訪れる旅行者は多くなさそうで、我々のほかには誰もいませんでした。

古鎮には大体、『池』と『門』が付き物です。(ここは門票なんていうものは不要でした)

全ての家が日干し煉瓦造りでなく焼き煉瓦造りの家もありました。
路地はなかなか趣があります。

古鎮の中には一族の祠がありました。最近改修されたようで、しっかりした造りになっています。祠の対面には立派な『照壁』がありました。中国の建築では照壁は多くの地方で一般的に見かけます。

銭崗古鎮はこれで終わりです。このあとは『鐘楼古鎮』となります。

何だ、ゴーストタウンなのか、とのお叱りを頂戴するかもしれませんが、決してそうではありません。

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広州から高速道路を北へ小1時間走り、一般国道へ降りての銭崗古鎮への道は茘枝畑を進む道でした。この辺りは茘枝の有名な産地だとのこと。

上の門は東門ということですが、中へ入ると目に入ってきたのは貧しそうな家々でした。半分朽ちかけた家もあります。

その路地には石が敷き詰められてあり、昔は或る程度裕福だったことが伺われます。

私の目の前で老婆が薪を小脇に抱えて通りすぎたかと思うとベンチ状の石の上で一休み。そしてしばらくすると颯爽と先へと去っていきました。



また、談笑する祖母と女の子。この様な原風景はもはや日本からは消えてしまったのでしょうか・・・

この女の子は洗濯物を物干しに掛けて二人でどこかへ出掛けていきました。

さて、銭崗古鎮巡りを終えてもとの東門へ戻ってくると我々の車以外にもう一台車があり、若いカップルが我々が導かれたと同じ『中国古鎮游』の本を手に取って案内板に見入っていました。
同好の仲間とこんな所で出会うとは思ってもみませんでした。訊けば広東省の仏山市から来たとのことでしばし古鎮談義となってしまいました。

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