最も困って、今でも未解決なのが、『北斗星座布局的明清古村』Ancient village in Triones style of Ming - Qing Dynasty
Trionesを英和で引いてもありません。どのヨーロッパの言語にもこの綴りの文字はありません。当然星座ですからラテン語ということは
十分に考えられますが、ラテン語にもありません
然らば、《卿罡古村》の《罡》の文字を《北斗七星》=《Triones》と書いたのが間違いか?

でも、《罡》=《北斗七星》は正しいのです。『水滸伝』にも出てきます。では《北斗七星》=《Triones》が正しくないのか?ということに
なります。調べました、調べました。

偶然こんな記載を見つけました。
  中期英語において、<septentrion>は、北方(北部領域)や北そのものを表す単語。
  形容詞形である septentrional は、「北の」という意味で現在でもまれに使われることがある。
  語源はラテン語の septentriōnēs から来ている。
  七頭の農耕牛、おおぐま座またはこぐま座の7つの恒星のこと。(=北斗七星)
  septem は seven 、triōnēs は triō の複数形で、農耕牛(plow ox)を意味している。
  セプテントリオンとはラテン語で「北斗七星」のことです。


私の結論としては、《Triones》は間違いで《Septentriones》であるべき、です。

(この調べに3時間程度掛かりましたが勉強になりました。)

でも、それ以前に問題があります。
『北斗星座布局的明清古村』
といわれながら何が北斗星なのか?です。
想像ですが、町筋や住居・建造物の配置が上から俯瞰すれば北斗星状に見える、ということだろう、と。
この点に関し村の何処にも説明はありませんでした。

結論:面白い古鎮であった。再訪もしてみたい。
 

《連州の古鎮を2ヶ所巡る=その1<卿罡>》 2010年5月9日

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案内板の矢印に従って細い道を進むと、先ずこの建物が現れました。2.の唐氏祠堂(The Ancestral Hall of Tang Family)でした。かなりの
人数の男達が何もすることがないのでしょうか、朝早くからたむろしています。

狭い所だけに歩いて廻るのは容易い所です。最初のうちは、未だ
小雨が残っていましたが、幸いにも晴れ間こそありませんが、雨は
上がりました。

少し大き目の建物だな、と思ったら、『3.黄氏祖屋』でした。


匾額が判りました。東京に在る匾額等を扱っているショップのHPです。
リンクは張っておりませんがご興味のある方は訪問してみて下さい。 http://wyhj.net/bian.html

        そのサイト内の記述を引用させていただきます。
           牌匾(ヘン)
             牌ヘンは中国伝統文化の中には独特な存在です。
             漢字、書道、建築及び彫刻の総合体とも言えるでしょう。
             材料は主に木製、石料、金属という三種類です。
             厳密に言えば、牌は細長いの長方形で、縦書きが普通です。

07:50頃に着いて、写真も撮りながら村の中を歩き廻りました。でも狭い部落だけに見て廻るのにそんなに時間はかからず、
ほぼ1時間程度で全てが済みました。
戻りのバスが直ぐにあり、乗ったのは09:00頃で、09:30には《連州》に戻っていました。

来訪者は私以外に誰も見掛けませんでした。

ここまでの経費=バス賃 2元 X 2=4元
門票・・・そんなものありません

冒頭の、道路の上にはみ出た案内板の『主要景点』うち
 1.明清古民居 (Old houses built in Ming and Qing dynasty) 
 2.唐氏祠堂  (The Ancestral Hall of Tang Family)
 3.黄氏祖屋  (The Ancestral Hall of Huang Family)
 6.龍泉古井  (Long Quan Old well)

の四ヶ所は確認できましたが
 4.三雕芸術  (Folk Statuary Art)
 5.清代扁額  

が未だ残っています

4.は多分龍泉古井の龍と鯉の彫物を指していると思いました。何故なら、他に彫刻・塑像の類はありませんでしたから
5.の扁額の扁は正式には《匾》という字ですが、所々写真で紹介したような《額》を指しているのでしょうか・・・

← もうひとつ驚いたのは、この柱です。
   《珠玑巷内家声遠》 意味は?
   つい2日前に私は《珠玑古巷》へ
   行っているのです。
    http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub168.htm

   私の勝手な解釈は、
     《家の声が珠玑まで届け》
   です。当っているか、間違っている
   か・・・?

この日は朝から小雨模様。町を離れて郊外へ、更には田舎道に入って07:50頃に促されて下車。2元でした。バスを降りると、看板が
目に入りました。また、真新しそうな立派なバス停が右手に見えました。(《連州》への戻りの不安が解消しました)

お母さん達が洗濯している傍を横切って別の小路を進むと美しいフォルムの塔、というか門がありました。『接龍門』との名がついていました。
内部の壁面には『重建唐氏宗祠栄(?)捐芳名』として大きな紙が掲示されていました。

お堂の内部です

金文字は『金馬世家』です

年代物のテーブル

英語併記の案内板です。《卿罡》という難しい漢字の読み
が、《QingGang》であることを初めて知りました。
『北斗星座布局的明清古村』
Ancient village in Triones style of Ming - Qing Dynasty

『主要景点』(見所)として、6ヶ所ヶ書かれています。
 1.明清古民居 (Old houses built in Ming and
                          Qing dynasty) 
 2.唐氏祠堂  (The Ancestral Hall of Tang Family)
 3.黄氏祖屋  (The Ancestral Hall of Huang Family)
 4.三雕芸術  (Folk Statuary Art)
 5.清代扁額  
 6.龍泉古井  (Long Quan Old well)

あさ、06:30過ぎにホテルをチェックアウトしました。また戻ってくるので、荷物はフロントに預けながら、、《卿罡古村》行くバスを尋ね
ると、バスターミナル前の路上とのこと。ホテルから1分です。その途中に昨夜の食堂があるので、空のビール瓶持ってホテルを出ま
したが、シャッターが閉まったままなので、空瓶をシャッターの前に放置してターミナル駅前の通りに出ました。(1元損した・・・)

昨日、2010年5月8日は、《連州》を基地にして《連南》の《南崗千年瑤寨》へ行ってきました。その模様は、
http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub172.htm
をご覧下さい。
今日は、《連州》に幾つかあるらしい『古鎮』を訪ねることにしました。

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左には炊き出し用具が

広東省全図
クリックすると大き
くなります。

このページが多少長くなったので、《石蘭古村》は次のページにします。

   → 《石蘭古村》へ

右の中には・・・祭り用でしょう

入り口の左右に部屋が

昨日、夕刻に《南崗千年瑤寨》から《連州》のバスターミナルに戻ってきて、ターミナル内の到着ロビーに《連州市旅遊地図》が
掲げられているのに気が付きました。もう既に何度もこのバスターミナルにはお世話になっているのですが、見過ごしていた様
です。

こういうのを、匾額というようです。
(4点ともこの頁、及び次の頁にあります、従い私の撮影です。

これを眺めていて、《卿罡古村》と《石蘭古村》へいくことにしました。ネットで検索しても日本語の情報は極めて少ないの
ですが、ともかく行くことにしました。
ひとつ、小さいけど大きな問題は、前者の《卿罡古村》の発音です。身軽にする為に、辞書を持って来ませんでした。こう
なれば日本人の特権で、『筆談』で勝負です。

暫く待っていると、07:10頃にこういう
バスがやってきました。『農村客運』とは
いい名前ですね。《卿罡》《保安》という
行き先を掲げています。

早速乗り込みました。運転手は居ましたが
車掌がいません。直ぐに、車掌が屋台で買っ
たらしいスチロール容器に入った食べ物を
持って乗車。何と、運転手と合わせて二人分
朝食です。それを食べ終わって、バスは
07:20頃発車。勿論、私は行き先を書いた
メモを示すのを忘れません。

<Triones style>と、英語が併記されていない<5.清代扁額>については後述。

男達に関係なくお堂の中へと入っていきました。誰も咎めはしませんでした。

『唐氏祠堂』を出て奥へと進んで行きました。細い石畳の道の両脇には民家が・・・
1.でいうところの、『明清古民居』でしょう。殆ど改修された様子はありません。(それは多分、貧しさからなのでしょう)

少し進むと今度は、『6.龍泉古井』に出ました。結構清らかな水です。間違いなく、地下からの湧き水です。

ここにも英語併記の説明看板があり
ました。

英文からですが、曰く、
 ・宋代(960-1279)に造られた
 ・北斗七星の中央に位置する
 ・中央の柱に装飾がある 
 ・巻きつく龍と鯉が彫られている
 ・水柱から落ちる水は真珠の如く見える
 ・脇に清代(1616-1912)の修理の記念碑がある
というところでしょうか・・・

でも、宋代というのはかなり古いですね。

碑文を解読すべく加工を施  
したのですが駄目でした。
従い、生のままです。

井戸の水は横に造られた水溜に導かれ、切り割れされた水作業場になっています。そこではお母さんたちが洗濯の真っ最中。

『重建唐氏宗祠栄(?)捐芳名』の《栄(?)》
は《栄》でしょうか?《栄捐》でも意味は
通じると思います。
  (中国の《字典》で調べてみました。
  《rong》=《栄》ですから大丈夫でしょう)。

でも、《唐氏祠堂》は最初に訪れたところで
す。少し離れています。どうして《唐氏祠堂》
の内部になくてここにあるのでしょうか?

名簿を見ると、当然ながら9割以上は《唐》さん
ですが、他の姓も少しながら混じっています。

中に男が数人居ました。問われるままに、日本人、等々と話していると、俺たちの所も見るかい?ということになり、一人が鍵を取りに走り
ました。そして案内された所がここです。

おもむろに鍵を開けて
くれました。

内部です。がらんとして
いるだけです。

正面右に掛かっていた『額』。電気仕掛け
で、多分、以前は光っていたのでしょう。

再度施錠しておしまい。

前庭ではニワトリが餌をついばんでいました。

何と、オッサンも『唐氏』だったのですね。最初のと見比べてみました。上の文の疑問は解消です。

最初の《唐氏宗祠》

今度の《唐氏宗祠》

最初の《額》『金馬世家』

今度の《額》『重振晋昌』

次の地点への移動中にも美しい門がありました。

通り掛かった民家の内部です。

いよいよ大詰めに近づいてきました。

『黄氏祖屋』の中へ入りました。

《重振江夏》?《江夏》発展せよ
でしょうか・・・

右の碑石を拡大すると、《江夏郷》
の文字がよく見えます。
《江夏》は土地の名のようです。

因みに、野球の《江夏》は、
先祖が大陸から渡って来た
と本人が述べているとの事。

また、《江夏》という地名は
中国に残っているようです

《黄氏》はこの地区の最大の勢力だったのでしょう。場合によっては、《領主》だったかも知れません。建物の入り口に近い右手の
中に、大勢が一度に食事が摂れるように厨房が備わっていました。どうやら、ごく最近も使用されたようです。

一応、ぐるっと見て廻って、最初に通りから細い道を進んだ所にあった市場に戻ってきました。帰る前に、この市場を覗きました。

中国の地方の市場を見て廻るのは実に楽しいものです。何でも有ります。

これは親子ではありません。ニワトリとアヒルのヒナが並んでいました。

このローカル市場は
殆どが青空ですが、
一角に屋根付きの
部分もありました。

そこでは色々な物が並んでいました。これはタバコです。お客が来て包んで貰っていました。手巻きの用の紙を付けてこれで5元。