《連州》から、《広州》と《香港》の間にある《東莞市》
に1日1本ですが、日中にに運行される直通バスが
あるようです。
これは場合によっては利用できると思い、情報として
残しておきます。

ここの特徴は、丸いパンで焼いていることでした。バケツの中は薄く溶いた米粉です。丸いパンにそれを薄く垂らしこみ少しの
《具》をのせて下から蒸気の上がっている何段もの四角い棚に入れて1分程度で完成。

もっと写真を撮れ、と言われましたがもう十分。私はバスに戻っていると、ドライバー達が戻ってきて、再生して見せてくれとい
うので見せると喜んでいました。

こんなこともあって広州への到着は12:00少し前でした。

《連州の古鎮を2ヶ所巡る=その2 <西蘭>》 2010年5月9日

《5月9日と5月10日の支払経費明細》

これは、《連州の古鎮を2ヶ所巡る=その1<卿罡?>》の続きです。
  その1は、http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub175.htmをご覧下さい。

《更に蛇足》

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5月9日 バス 連州=卿罡 2.0 連州 07:10 → 卿罡 07:20
バス 卿罡=連州 2.0 卿罡 09:00 → 連州 09:30
バス 連州=西岸 4.0 連州 09:40 → 西岸 10:30
乗合バイタク 西岸=石蘭 1.0 西岸 10:40 → 石蘭 10:50
バイタク 石蘭=西岸 10.0 石蘭 11:20 → 西岸 11;30
筆記具 西岸 2.0
バス 西岸=連州 4.0 西岸 11:40 → 連州 12:20
バス 連州=賀州 45.0 連州 12:40 → 賀州 15:50 148km
パン・水 3.0
バス 賀州=梧州 47.0 賀州 16:30 → 梧州 19:00 170km (含む、保険2)
夕食 梧州 23.0
ビール・他 6.0
宿泊 梧州 60.0
5/9 計: 209.0
5月10日 バス 梧州=広州 72.0 梧州 06;50 → 広州 11:50 277km (含む、保険2)
地下鉄 広州 5.0
5/10 計: 77.0
総合計: 286.0

5月8日に撮影したものです。

《保安鎮》の《卿罡古村》から《連州》に
戻ってきたのは、朝早く出発したことも
あり、09:30でした。地図をご覧になっ
てお解かりと思いますが、《西岸鎮》は、
《保安鎮》のほぼ真横(真東)に位置し
ています。でも、そういうバス路線はあ
りません。勿論、分岐まで戻って、という
手もありますが、それも難しそうなので
《連州》へ戻る方を選択しました。

2010年5月13日、デジカメを盗まれました。
結果論ですが、私の不注意からです。無用心だったのですね・・・ カメラ本体に携帯電話でよく使われるストラップを
付けて、それを長さの調節できる細目のロープで首からぶら下げられるようにして、その格好で歩いている時でした。
背後から接近してきたオートバイに乗った男に、引ったくられました。『プチッ』という音と共に若干の衝撃を首筋の後ろ
に感じたと思ったら目の前をオートバイが加速して遠ざかって行きました。私は徒歩、どうすることも出来ません。やっと
慣れたパナソニックのデジカメでした。愛着が出てきた時期だっただけにガッカリです。私の落ち度はシャツの中に収
めずに上にカメラを露出させていたことでした。
後の祭り・・・でも、結果的に幸いだったのは切れてしまう程度の細い紐だったことです。
余分に持っている幅の広い強度のある紐であればオートバイの男に引っ張られ転倒して大惨事になっていたかも知
れません。
気を取り直して、直ぐにカメラ店へ行き新しいデジカメを買ってきました。
この話をすると友人は、ここは中国だぞ、と私の無用心さを責めました。
猛省、猛省・・・

5月10日の《梧州》から《広州》へのバスに乗った時のこと。、

06:50発の《広州》行きのバスです。
バスは定刻に梧州のバスターミナルを発車
しました。

暫く走って、広東省に入り、『徳慶』でバスは
とある店の前で小休止。08:35
何事かと見ていると、ドライバー二人と車掌
が、食事です。そこは広東名物の『腸粉』を
食べさせる店でした。私も降りて覗き見をし
ていると、一人のドライバーが手招き、箸で
つまんで、食べてみるかい、と。

《蛇足》

今、気付いたのですが、右の地図
の《保安鎮》の《卿罡古村》の罡の
ピンインが違っています。
Guangではなく、Gangです。
些細な事でした。

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私が、余程食べたそうにしていたのでしょう・・・

実は、私の興味は、ここの『腸粉』の形態や焼き方、焼く道具にあったのです。
これは、私の別のHPで、この中で『腸粉』を取り上げています。(http://meitian.org/hoge/sub32.htmです)

このモデルコースを見ても『岳榮嶺』は入っていま
せんからつまらない所かも知れません。
(行かなくてよかった!?)

一応、これで見所は『岳榮嶺』を除いて廻ったことになります。10:50頃に入って、見終わったのは11:10頃、特段に急いだ訳では
ありませんが、時間的には十分で、内容もリッチでした。満足、満足・・・

元の場所に戻ってきて、色褪せてはいますが大きなポスターが掲示されていました。興味深いのは、この地《西蘭》が、2009年12月
に広東省の古村落に入選したという赤い文字でした。
まだ日が浅いので門票なんてものはありませんでしたが、その内に入場料を徴収されるようになるかも知れません。

《西岸鎮》の《石蘭古村》へは、どのようにして行け
ばよいのか・・・

多分、《卿罡》へ行ったのと同じ様なバスがあるだ
ろうと思い、バスターミナルの向かいの道路際へ
行きました。そして、デジカメにトリミングして保存
した右の映像を見せて通行人に尋ねました。
すると直ぐ教えて貰えました。《卿罡》へ行った時と
同じ『農村客運』のミニバスでした。

デジカメのこういう使い方をしたのは初めてでした
が、重宝なものです。

上のバスに乗り込んで暫くすると発車しました。09:40でした。
運賃は4元。
支払い時に、同じように上のデジカメの画像を見せて行き先を
車掌に告げました。

10:30頃、《西岸》へ着いたようです。中年女性の車掌は、何
やら書き込んだカードをくれました。それには、私の行き先が書
かれていました。誰かにこれを見せて行き方を教えて貰いなさ
い、という親切です。
さらには、この人も《石蘭》へ行くから付いて行くように、とも言わ
れました。

《拡大しました》

《西岸》のバス停近辺には、3輪のバイタクが
客を待っています。

Shi Lan village --- Base of Yue Fei Troops
Main Sites : Old Gate Tower, Old folk house, Base of YueFei Troops

岳飛とは?

岳飛(Yue Fei、1103年 - 1141年)は、中国南宋の武将。
河南省湯陰県出身。南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた宰相・秦檜に謀殺された。
その功績を称えて後世、岳鄂王称えられ、岳飛廟(びょう)に祀(まつ)られ救国の英雄として親しまれている。

中国5000年の歴史において、最も中国人(漢民族)に人気があるのが、南宋の時代のこの《岳飛》、歴史に全く興味のない中国人女性でも《岳飛》ことは知っているくらい。

そのオッサンと待つこと10分。これだ、というので
3輪バイタクに乗りました。既に4、5人が乗ってい
て我々で超満員。足元には建築資材も積まれて
いて一寸大変でした。

空車のバイタクがあるのに、オッサンが待ってい
たのは乗り合いのバイタクだったのです。

かなりの酷い揺れで写真が撮れません。でも
なんとかものにしたのがこの下の2枚。

10分位で《西蘭》に到着。
オッサンのお陰で、1元で済みました。

ここも、《門票》なんてものはありません。勝手に入っていっても問題ないようです。
以下、《西蘭》をご案内しましょう。

トリミング・拡大した案内板です。
『石蘭古寨』、『岳榮嶺』、更に『石蘭門楼』

『岳榮嶺』は背後の丘の上にあり、《岳飛》
が戦った場所のようですが、登り口が判り
ませんでしたので断念。

『石蘭門楼』は容易に
見つかりました。

ただ、額の中の4文字
の最も上の文字が判り
ません。上が『上』、下が
『日』の様に見えますが、
手持ちの《新華字典》に
は出ていません。

『石蘭古寨』は、《西岸》での案内板にあった『古民宅』(Old folk house)でしょう。

ひょんなことで判りました。上が『上』、下が『日』なん
て文字はありません。これは、『旨』です。この文字を
何故か上が『上』、下が『日』と書いたのでしょう。

 →いやぁ、勉強になります

これは、『古門楼』、案内板にあった(Old Gate Tower)その物でしょう。
特に、《黄積元》が題字(?)を記したもので、どうやらこの地では重要な物のようです。

英語が間違っています。
<write>の過去形を<Writed>としてい
ます。まあ、おあいきょうですね。

この説明板によれば、《黄家》の九代《黄国藩》は《太平軍》が《連州》を占拠した時に勇敢に戦い、功を成して、『六品』
という高い位を得た。それを称える為に、《黄積元》が揮毫してこの門を建てた。こういう内容だと思われます。
(自信はありません・・・)

右端の行には、清代の咸豊九年
(1859年)云々と記されています。
『賞戴藍翎』とはどういう意味でし
ょうか?

(これは内側から)

中央がその《門楼》です。

《拡大版》=読めると思います。

バイタクを降りた所で《西岸》へのバイタクを待ちました。目の前に古井戸がありました。

これは一般の人には無関係です。
私は以前肥料関係に携わっていた経験もある
ので興味を持って見ました。(特に価格・・・)

結局、乗り合いのバイタクは現れませんでした。不本意ながら仕方なく、客待ちのバイタクに乗り、《西岸》へ戻りました。10元。

10分程で《西岸》に戻れましたが、このところの雨で至る所で洪水が起こっていると今朝のニュースでした。バス停の少し先
は川でしたから見に行くと、結構な水量です。これなら低い所では洪水になっていてもおかしくありません。

バスが来て、乗り込みましたが、最初はこんな感じでがらんとしていました。そのうち、三々五々乗客が集まり、11:30過ぎに《連州》へ
向かって出発。4元。《連州》へ再び帰ってきたのは、12:10過ぎでした。

一応これで今回の旅はおしまいで、後は帰るのみです。《広州》へ出ようという思いがあり、ルートは多々あるのですが、たまたま12:40発の
《賀州》行きがあったので切符を買いました。《賀州》で1泊して翌日に《広州》へ、との考えです。
でも、これはよくありませんでした。《賀州》のバスターミナルが町なかから郊外へ移転して日が経っていないらしく、バスターミナル付近にホテ
ルがなく、結局よく知っている《梧州》へ乗り継ぐことになってしまいました。

爾後の行動は次の通りです。
   《連州》12:40--(45元)--15:50《賀州》16:30--(47元)--19:00《梧州・宿泊(60元)》06:50--(72元)--11:50《広州》