《広西・梧州(Part2)》 2010年5月16日

『梧州』は再訪です。
前回、3月21日に梧州で中断した旅の再開の為に『梧州』
を目指しました。今回は香港からの出発です。
香港〜深セン〜梧州というルートで《梧州》へ入りました。


実は前回3月20日の訪問時にあることがありました。

その時の梧州は、新規開通した鉄道路線に乗ってみよう
という興味もあったのですが、単なる帰路の乗継の為だけ
に立寄ったのでした。
鉄道の梧州駅に到着してこの梧州で1泊してから翌日のバ
スで出発点へ戻る予定でいました。とにかく、市内の中心部
へ出てホテルを探そう、ということで市内へ出ましたが翌日
の朝が早いので先に目ぼしを付けておいたバスターミナル
付近のホテルにすることにして戻りのバスに乗りました。

その帰路のバスの車窓に突然古びた西洋風の建物群が
飛び込んできました。こんな内陸の田舎の町にどうしてな
のだろうという思いを抱いたのでした。このことがその後も
引っかかっていました。

よし、それを突き止めてやるぞという思いでバスに乗りました。
前回は進行方向の右手だったから今回は左手の筈と目を凝
らしていると、記憶に間違いはなく古びた建物群が見えてきた
のでバスを降りました。

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バスを降りてみて更に驚きでした。市内の中心に近い一角に4、5階建ての古びた洋館の建物が密集していたのでした。
先ずはご覧下さい。

昔の言葉でいえば、町中至るところ
《洋館》だらけなのです。

結構装飾が施されています。これらの建物の多くは窓ガラスがステンドグラスになっています。何と凝っていることでしょうか・・・
どうしてこんな梧州というところにこんなものが残っているのだろうか?それも全てが現役で現在も店舗・住居として使われています。
世界遺産に正式登録された《開平の望楼》とは大違いです、開平の建物の多くは廃墟です)

窓ガラスだけではありません。
街灯も《ガス燈》時代を偲ばせます。

とも角、町中が《洋館》だらけなのです。

窓に赤いものが・・・ 何やらそそられます
でも、左に掛けてある男物と思われるシャツに興ざめ?

絵画さえ描かれた
建物もありました。

《ブリュッセルはアールヌーヴォー建築の宝庫。巨匠ヴィクトル・オルタやポール・アンカール、ポール・コーシーらの設計によって19世紀から20世紀初頭に建てられた都市邸宅がいくつも残っています。内部を見学できるものも少なくありません。
ヴィクトル・オルタ(Victor Horta)はベルギーが生んだアールヌーヴォーの巨匠。
2000年末に彼が建築した4つの建築物が世界遺産として認定されました。・・・・・ベルギー観光局HPより》

私は、これは『アールヌーボー風』だと感じとりました。
アールヌーボー建築といえばベルギーのオルタが有名で、私はブリュッセルで何度も街を歩いたことがあります。
これらは世界遺産に登録されているのです。

この地区を建物を見ながらぶらぶら歩いていてゲートの様なものがあるのが見えてきました。そしてそのゲートを見ると
《中国騎楼城》と書かれています。
そしてそのゲートの脇に設置されている碑文を読んでみてビックリ!
これは西洋建築ではなく嶺南(=中国南部)の様式だというのです。

『騎楼』とはアーケードだったのです。
英語の部分を読んでみると(意訳もありますが・・・)、

『梧州は1897年に対外貿易の窓口として開かれ、
 多くのビジネスマンが対外貿易の為に来て、梧州の
 西部に22本の通りの中に560もの建築物を残した。
 梧州の騎楼の特徴は鉄のリングと水門に特徴付けさ
 れる。主要な騎楼は新西ホテルや交通銀行、等々で
 ある。』

ということでしょうか。

今回私は、横、乃至裏からこの地区に入場し、最後に表ゲートに辿り着き、そこでゲートを碑文を見るまでは西洋建築とばかり思い込ん
でいたのでした。実際に、華僑の多い東南アジアではこの種の1階の道路際が引込んでいて人が通行できるようになった建物を今でも
見ることができます。シンガポールのチャイナタウンがその典型だし、マレーシア・ボルネオでも多く残っています。これらは中国様式だ
ったのですね。
でも、私は、この様式が純粋に中国産とは思えず、欧の<アールヌーボー>様式を取り入れたか、強い影響を受けて中国
風にモディファイされたものと考えます。


また、別にこういう記事をネットで見つけました。
  《〜嶺南の建築様式・嶺南建築(嶺南=中国南部、広東省・福建省あたり)。現存しているのは、主に清朝末期に建てられたもの。
   嶺南建築の特徴はアーケード式建築(=騎楼)で、建物の2階部分が張り出し、アーケードになっている。中国南部から東南アジア
   にかけて多く見られるこの様式は、熱帯特有のスコール対策ともいわれる。》

梧州のは清朝期(1644年〜1912年)の末期に建築されたもののようです。
因みに、日清戦争は、1894年(明治27年)から1895年(明治28年)、清朝が滅亡した1912年は明治から大正へ移行の年です。
ですから、年代的には100年超のものということになるでしょう。

更には、昨年末に中国国家旅行局全国景観区品質評定委員会が「梧州市騎楼城母龍廟景観区」(母龍廟へは行ってません)を国家4
A級景観区に指定したとの情報も得ました。

たまたま車窓から見ただけのものでしたが、宝物を発見したような気持ちになりました。大満足です。

<Iron ring><Water gate>が何を意味しているのか、後で調べて
判りました。

建物の壁面に設置されている《鉄輪》は川が増水して洪水になった
時に船を繋留するためのもの、《水門》同じく水が入ってこないよう
にアーケード部分のと建物を遮断する為のものです。

《建物の人の頭より少し高いとこ
 ろに設置されている『鉄の輪』》

今も市内を流れる川(梧州は、桂江、
潯江、西江の合流点に位置しています)

この風情は映画撮影に
よく使われるとのこと。

市内中心部と名所案内板、最上段から二つ
目に、《騎楼城》200mという記載があります。

市内バスは1.2元

今回のホテルも翌朝の出発が早いのでバスターミナル前にしました。同じホテルは面白くないので、ターミナル前に数軒かたまっている中か
ら『錦苑賓館』にしました。
値切って、公給領収書は出さない、という条件で、ネット付きで55元、申し分ありません。これでトイレが洋風だともっとスコアが上がるのが
残念でなりません。(中国式でも日本人にはそんなに問題ないでしょうが、西欧人だと一寸大変でしょうね)

少し遅めの夕食は、ターミナル前の前回と同じ所にしました。昔の日本の『大衆めし屋』のようにガラスケースに陳列してある食べ物を
2〜3品注文しておしまいですから言葉に不自由な私でも全く問題ありません。

これが今夜の夕食です。
 1.トマトと卵の炒め物
 2.若いサヤ付き豆と細切り牛肉
 3.青菜
それに
 4.ご飯
これで6元

ビール4元を付けて計10元

飯やのオッサンが2ヶ月前の私を覚えていてくれて少し嬉しかった。

5月16日の支出

香港MTR 上水=落馬洲 20.0 (HK$)
深セン地下鉄 福田口岸=竹子林 3.0
バス 深セン=梧州 140.0 深セン 09:25 → 梧州 15:45 449km
梧州バス バス站=市内 1.2
梧州バス 市内=バス站 1.2
夕食 食事 6.0
夕食 ビール 4.0
別途ビール 3.5
合計: 178.9
便宜上、HK$=RMB

明日は、『黄姚古鎮』を目指します