《いよいよ程陽風雨橋へ》  2010年5月19日

これは前頁からの続きです

いよいよ《程陽の風雨橋》を目指して出発です。私が乗った例の小型バスです。行先は、『林渓』です。
11:00定刻の発車です。

車掌に行先を紙に書いて示しておきましたから安心して乗っていました。
丁度30分程度で到着しました。降りたのは私ひとりでした。

車内はこんな感じで生活臭が漂って
来ます。

《門票》を買おうとすると、年齢を聞かれました。話しに聞いていたので、いい加減に<65>というと、なら半額だ、と30元で済みました。

これが門票ですが、確かに【半票价】と記載されています。身分証を、
ということもありませんでした。大成功!してやったり、です。

さて、ゲートらしきものはありませんが、進んでいくと見えてきました。
石畳から左手を少し降りると・・・
目の前にはあこがれていた『風雨橋』がお目見えです。大感激・・・

文字はかなり崩されていますが、【程陽橋】です。
これはこの地域で最大の橋で、美的感覚にも優れていて、最高の傑作といわれています。まさに異議ありません。

観光客は僅かでした。橋の通路の左右は土産物屋がびっしりですが、おばさん達も手持ち無沙汰です。

天井を見たり、骨組みを見たり、写真
を撮りながら2、3度往復しました。

水車も彩を添えています。
2枚は橋の上から、もう1枚は
渡りきってからの撮影です。

渡って集落を目指して右手に進んで行くと、女子学生風が二人、橋をスケッチしていました。

この画学生を過ぎて集落の内部に進んでいくと、一般の住民の家屋に混じって英語併記のホテルが結構現れました。

『風雨橋』は欧米人に人気があるのですね。特に、『程陽』は
名高いと耳にしたことがあります。

↑ 『程陽国際旅館』というのがあ
   りました。これは《ホテル》と
   名乗ってもっても全く問題がな
   いと思えます。

ここで先程の画学生の正体が判りました。

このような看板が掛かっていました。
【桂林電子科技大学・程陽橋写生基地】

写生基地とは中国らしい厳しい名称です。

この向いに『馬鞍民族旅館』という名のホテルがありました。

殆どのホテルは、施設もよさそうだし、これなら『程陽』に宿泊してもよかったかな、と思い始めました。でも、バッグは『三江』の
『河西バス站』だし、どうすることもできません。
まあ再訪の機会もあるだろうし・・・

更に先へ進みました。
写真でもお判りかと思いますが、他に観光客は殆ど居ません。まるで貸切状態です。

道端に木製の案内板がありました。私も興味があるので全てをカメラに収めました。この地のトン族の伝統文化を
10項目紹介してあります。

   1.『布』 亮布(リャンプー)
   2.『家』
   3.『坐夜』
   4.『風雨橋』
   5.『百家宴』
   6.『月也』
   7.『鼓楼』
   8.『歌』
   9.『舞』
  10.『戯演』

小さくて見えない?ご心配要りませんここをクリックすると拡大します(186へのジャンプ)

田んぼ越しに小高い丘の麓
にあるのは小学校でしょう。

どんどん集落の奥へ進んで行きました。

次の『風雨橋』が見えてきました。

『花船』という遊覧船もあります。

橋の名は、『合龍橋』。

この橋を渡っていると先の田んぼ
の方に人影が見えます。

草を刈っているバアチャン。

子守りしての買い物帰りのバアチャン。

二人ともこの橋に進んできます。すれ違うときに会話を交わしました。

橋の向くの終点には、大太鼓が・・・
子供が私の為に悪戯で敲いてその
大きな音に驚かされました。

『鼓楼』を目指して進んでいる途中で興味深いものに出会いました。トン族の伝統的家屋の新築です。

予想もしない出会いでしたので夢中で写真を撮りました。

どう表現すればよいのか・・・
兎に角、3〜4階建ての家を先ず外壁に当たる部分から地面の上で組み立て、それをたてかけて順次手前へ奥行きを
作っていくという工法と思われます。
素晴らしいのは、一切の重機を使わずに人間の力だけで、という点です。昔の合掌造りも、寺院の建設もそうだったので
しょう。

多分、労働力は、『結』なんでしょう。
結(ゆい)とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度で、一人で行うには多大な費用と期間、そして労力
が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っています。かつては日本では一般
に見られたが、地域のつながりが薄れ、無くなりつつあると言われています。

合計で20人近い男が声を掛け合い、加工した丸太をロープ一本で上まで持ち上げホゾを合わせて形を作り上げていくとい
うのは素晴らしい限りで、見とれてしまっていました。

昔あって今無くなったもの・・・そういう思いがしました。

日本の合掌造りと同じように、釘を全く使わずにかなりの大きさの家を建てるそうです。
昔からトン族は建築に優れた才能を持っているとして名高いのです。
それを目の当たりにしました。

もう酔っ払ったような気分ですが、先へ進みます。

直ぐ前の家も新築でした。その家の前で小休止する人々。

高い所で、命綱も付けずに作業する男達。木組みのホゾを合わせて打ち込んでいます。

手前の方に、新規に太い柱を付けるようです。重機無しに、人力で既に加工済みの太い柱となる
木材を立ち上がらせ、持ち上げ、ホゾが合うように細かく調整する、何と美しい作業でしょうか・・・

柱の元にはこんな見事な飾り彫刻も。

直ぐ向かいも、かなり作業は進んでいますが、新築中です。

少し先に、次にめざすものが見えてきました。
『鼓楼』です。一般的に、トン族の集落では、『風雨橋』と『鼓楼』はペアではありませんが常に同居しています。
これがこの地域の『鼓楼』です。

建築現場を見た余韻に浸りながらの散策を続けました。

鼓楼の内部は普段は何も特別なものはありません。がらんとしていました。
(内部が老人の溜まり場になっているのは一寸問題かな、と思ったりして)

下から見上げたところです。精緻な造形の美でしょうか・・・

土産物屋もかなりありますが、それ程多くもありません。

《英語表記が多いのに驚きました》

奥へと進んでいくと、『馬安寨』という集落への案内板がありました。

『鼓楼』の規模は相対的に小さめながら、まとまった趣のある集落でした。

『馬安寨』の鼓楼の内部
も、老人と子守達の溜り
場でした。

《鼓楼》に関連して忘れてならないものがあります。《戯台》(=舞台)です。
《鼓楼》と対をなすように、極く近接してあるのが一般的です。左の写真では、右端(少し切れてはいますが・・・)
が《戯台》です。右の写真はその《戯台》です。

日本の農村歌舞伎や能の舞台と同じようなものでしょう。

でも、さっきの《鼓楼》(『岩寨鼓楼』という名でした)では、《戯台》に気が付かなかった。見落としたか?

みやげ物の手工芸品作りに精を出すお婆ちゃん。
そして、その店。

思いがけずに家の新築に立ち会えたし、とも角、感動ものの程陽でした。そろそろ引き上げましょう。

念願の『風雨橋』も十分に堪能したし、名残は尽きないけれどもそろそろ引き返し始めました。

戻ってきて『程陽橋』のたもとの水車の美しさにハットしました。
これらは現役なのです。決して観光用ではありません。仕切りは杉の皮、水受けは竹です。スポークに相当する部分も竹です。
川の水を汲み上げて水田に供給しているのです。

元の場所に戻ってきたのは、13:15でした。

2時間弱の滞在だったのですね。

道端に立ってバスを待っていると、一台のタクシーが停まりました。

降りてきたのは白人の夫婦。
風貌はドイツ系でした。
大きな荷物と分厚い中国の観光ガイドブックを手にしています。
大したものです、こんな所へ個人旅行です。

彼らが門票(入場券)を買おうとしてるので、お節介をやきました。
『年齢を65と言うと半額になるよ・・・』と。

彼らは私の目にはどう見ても50そこそこですが、西欧人は概して
老けて見られるので大丈夫といってあげました。

暫くして感謝の言葉を頂戴しましたから大成功!

何と世話をやいている間にバスが素通りして行ったことを聞かされてがっくりです。

場合によっては一時間待ちか、と観念しました。

次こそ乗り過ごしのないように、との思いで、何かを待っていそうな荷物を持ったトン族のオバサンに話しかけました。

意訳すれば、『オバサン、町へ行くの?』、『そうよ』、『俺もだよ、さっきのバスに乗りそこなった』、『フ・フ・フ』
まあこんな具合のたわいのない会話でした。
そうこうしている内に、小さなミニバンが停まりました。

オバサンは、乗るかい?という仕草。

既に数人が乗っています。実際にミニバンで、最前列が運転手含めて2人、中央に詰めて3人、後部座席も詰めれば3人
というミニバンです。既に最後部に2人、中央にも2人、当然助手席も・・・
一旦中央の列に3人目として乗っていたオバサンに一旦降りてもらい座席を倒して入れるようにして私は最後部の列の
3人目と客となったのでした。早速料金を訊ねると、《6元》、こればバスと同料金です。

← このトン族のオバサン

まあ狭かったけれども、全てが経験です。13:45にミニバンに乗って14:15に『三江』の『河西站』付近に
到着で無事に戻ってきたのでした。

↑ この上の《Welcome》を
   クリックして下さい。
   元の『三江』に戻ります

【程陽橋】の
パンフレット

クリックで拡大。