きょうは、『馬畔』と『巴団』の制覇です。

泊まっていたホテルは、河東側でしたから橋
を河西に渡って『河西バス站』へ向かいまし
た。

着いたのは06:00前です。
チケット売り場で紙に『馬畔』と記したものを
示しましたが、『無いよ、馬畔へ行くバスは
無いよ』という返事。
それならば昨日『程陽』からの戻りで使った
ミニバンがあるかも、と思って覚えていたミニ
バンの溜まり場へ行きましたが、朝早いせい
か一台もありません。

《巴団》 三江〜巴団〜花練〜三江、そして柳州へ 2010年5月20日

5月20日(木)

きょうの行先ですが、ホテルの部屋で検討の末に、『馬畔』と『巴団』ということにしました。
また、ここ『三江』は広西壮族自治区の東北のはずれで貴州省に接しています。
当初は貴州省へ抜ける計画でしたが、7月・8月・9月と訪中の予定があるので
それまで大事に残しておくことにして、早く『三江』に戻ってこられれば『柳州』へ出てみることに
しました。

切符を買いに窓口へ行くと、どうやら直接乗れといっ
てる模様。訝っていると、《No.4》と英語で窓口の
女の子が言ってくれました。更には、紙切れに、文
字を書いて寄こしてくれました。
確かに4番乗り場に『』行きのバスが停まっ
ていました。

『巴団』へは『』行きのバスでほぼ終点の手
前、と私の手帳に記してあります。

これで一安心です。荷物は持ったままですが、PCは
入っているものの可能な限り軽量化に心がけたので
大丈夫でしょう。

落胆してもう一度バスターミナルに戻って、再度窓口へ紙を出しましたが同じ返事。
更には、昨日荷物を預けた一時預かりの窓口もシャッターが閉まったままです。

気配を察して、何事か?という様子で男が二人近寄ってきました。
『馬畔』へ行きたいんだけど・・・・というと、了解とのこと。
こいつらはミニバンの運転手なんだ、ネットで、チャーターしてこの地区をまわった旅行記を読んだ記憶がありまし
たので、いくらか?と訊ねると、『50元』とのこと。更に私は、『巴団』も一緒に廻りたい、いくらだというと、『250』
との返事。

正直なところ、100元なら即座にOKしたでしょうが、250元は高すぎます。上のネットの記事だと、最近か数年前
かはっきりしませんが、100元だったと記憶していました。

普通ならこの時点で値段の交渉に移るのですが、先方は全く興味が無い模様。

仕方なくバスがあることを確認している『巴団』へ行くことにしました。

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夜中、3時ごろ、尿意を催してベッドから出てバスルームへ向かいました。ところがドアが開きません。何度試しても駄目
です。どうやら中側からロックされているようです。
おかしいなぁ・・・
昨日チェックインしたと時は開いていた筈。そしてその後も使っていますが、一人ですから閉めた覚えはありません。
そうだ、あの時に閉めたんだ。
夜、慣れない暗闇で目覚めてスイッチも判らなくて困ったこともあるので、大抵はバスルームの明かりを点けたままにして
おきます。このホテルはバスルームのドアは内側に押して開けるる構造で、チェックイン時はドアが完全に中側に開放さ
れていました。また、ベッドに近いので眠るのに明かりが気になります。だから引張ってドアを閉めて寝たのでした。あの
時、初めてドアを閉めたのです。このドアは中からポッチを押して閉めると自動的にロックされる形式で、そのポッチが押さ
れていたのです。普通はホテルのバスルームにこんな形式のものは使わない筈で、一般的には入って来られたくない場
合は内側からノブ式のロックを掛ける構造です。とに角、チェックイン時は完全に内側に開放されていたので、気が付かな
かったのです。

仕方なく、外へ出て道端でと思ってロビーへ降りていくと、丁度二人連れの客が遅く(?)戻ってきて、従業員が鎖を外し
て入れている場面に遭遇しまいた。これ幸いと、この従業員を私の部屋まで引っ張って行き事態を説明して彼が持ってい
た合鍵で開けてもらいました。

彼は、私が悪いというようなことをいうのですが、私は中国語が堪能でないので上に記したことを説明して抗弁できませ
ん。ともかく、謝々・謝々という以外ありませんでした。

これが、午前3時頃の事件。その後、ベッドに戻りましたが、寝付けません。そうこうしているうちに4時頃になり、意を決し
てベッドから這い出しました。昨夜寝たのが午後9時ごろですから眠くはありません。再度きょうの行動予定を確認しなが
ら、5時半頃にホテルを出たのでした。

これが前夜、というか今朝、早朝の事件でした。
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昨夜、というよりは早朝に一寸した事件がありました。

06:40の定刻にバスは発車。
紙を示して車掌から切符を買おうとしたら、
10元というだけでお金を受け取って切符
は無しです。切符は記念になるのに・・・

暫く走るとバスはかなり酷い山道に入って行きました。
どんどん山を登って行きます。

高度がどんどん上がっていき、窓の外から谷底が見えます。
200m以上もあるでしょう。
こんな所で事故が起きたら、終わりだろうな、なんてことを
思ったりしました。

バスはほぼ満席状態。途中で小学生が多数乗ってきました。
数えると9人、4人は大人が荷物をどけたり詰めたりして座席
に座れましたが他は立ちっ放し。左右上下に揺れるバスで立
っているのは大変だな、と思いながら見ている私。

小学生は10分位で全員が降りました。払ったバス賃は5角か
1元。

左右に茶畑が続きます。

霧が出てきました。

07:35にほぼ峠を通過。バスは一寸下って07:45に途中
停車して『給水』。

こんな曲がりくねった山道は初体験です。

ところが、車掌はこんなに揺れるバスで不思議な格好で居眠りを始めました。
黄色いシャツが車掌です。(08:00頃)
単に居眠りではなく、熟睡しています。気になるのは、ちゃんと降ろしてくれるんだろうか、ということ。
車内の乗客に紙切れを見せて私の目的地を知って貰いました。

少し高度が下がった所にきました。いくつかの『風雨橋』と『鼓楼』のある集落を通過していきます。

車掌も目を覚ましました。もう安心です。

これは08:15頃に見えた集落です。
ここか?と車掌に尋ねると、まだとの返事。

そして08:30頃に、『ここで降りろ』、との合図でバスを降りました。
『巴団村』と表示がありましたが、難しい《山がんむりに巴》の文字ではなく、単純な《巴(ともえ)》です。

訳が解らなくなりましたが、いずれにせよ『巴団』に到着です。

バス停の前の小さな建物には厳しい看板が3枚掛かっていました。

バスで来た道路は横を流れる川より少し高い場所にあり、道路から下に部落が広がります。

前にあった肉や(といっても肉をまな板の上に並べて切り売りするだけですが・・・)のオッサンに
風雨橋と鼓楼の場所を訊ねると、一寸前へ進んで坂を下れ、と合図してくれました。

すぐに判りました。一寸しかない道路沿いの家が途切れると両方とも目に飛び込んできました。

先ずは《鼓楼》です。
りっぱです。9層の屋根構造になっています。

例によって、《鼓楼》は老人の溜まり場になっています。
老人といっても60前後だと見受けました。

『どこから来たのか?』と問われ、『日本、私は日本人だ』と言ったのですが、全く通じず、持っていたパスポートを
見せると解ってもらえました。
タバコを吸っている彼はパスポートを手に取って、ページをめくったりしてながらしげしげと見ていました。

《鼓楼》をあとにして川に降りて行きました。
これは振り返って撮った写真です。

直ぐに《風雨橋》が現れました。
珍しい造りで、入り口は横に付いています。
橋の名は《巴団橋》(巴は難しい字です)

観光客は私一人だけ。

ここは土産物も何もありません。
原始そのものです。

橋の上から川を眺めると、赤ん坊をおんぶした
女性が洗濯をしていました。その横を牛飼いが
牛を引いて横切っています。

これは渡り切ってから撮ったものです。

先程見た《赤牛》が私の直ぐ下を上っていきました。
彼女はまだ洗濯です。別の牛飼いが《黒牛》を連れて迫って来ています。

ここの《風雨橋》をじっくりご覧下さい。また、基礎と構造も記録に残しました。

対岸の集落の中に入りました。

一般の住居も釘を使わない構造になっています。

新築された家屋もありました。
白い布で覆われているのは、○○食堂や○○喫茶の看板でしょう、シーズンには営業しているのでしょう。
1階はコンクリートや煉瓦の構造になっています。昔は全て木造で、1階部分、乃至は、階下は家畜が飼われていました。
いまではその必要が無くなったので強度を持たせるためにコンクリートや煉瓦に変わったようです。

何処へ行っても子供は子供で人なつっこいものです。

子供の横から子豚が出てきています。日常のことのようです。

橋を戻ると来た時には気付かなかった石碑が幾つかありましたので写真に収めました。

上の道路に上がると、ある家の前には今日、明日の食材が無造作に置かれていました。
魚は多分川の鯰でしょう。豚は頭部乃至は顔面です。まだ新鮮です。

ここ『巴団』に来る時に車窓からチラッと見かけた場所を訪ねたくなりました。

バスを待っていそうな2人が居たので、若そうな女性に、『この次の村は
何んと言うの村なのか』と尋ねたところ、
○○という答え。解らないので紙とペンを差し出すと、『華練』と書いてくれました。

暫くするとミニバンが来て、乗り込むと彼女がドライバーに話をしてくれてOK
運賃は3元でた。

どうやら、ミニバンにも公認の定額設定のものと、ヤミのものがあるらしいと思
るようになりました。

ミニバンに乗ったのは09:10頃です。
09:25頃に《風雨橋》が見えたので降ろして貰いました。

《中国は皆さん達筆です。特に女性は・・・》

来るときにはっきりと見えたのはこの『花練』に違いありません。

勝手知ったものでミニバンを降りて直ぐ下にあった《風雨橋》を見に行きました。
小さいながら趣のあるこじんまりとした《風雨橋》でした。

《鼓楼》は橋を渡った対岸にある筈です。

《鼓楼》は直ぐに判りました。

内部の写真も撮りましたが、基礎部分もカメラに収めました。

『華練』の《戯台》です。ここは《戯台》の天井の装飾絵画が素晴らしかった。

対岸の民家の様子です。
多分、豚の世話でしょう。

その後、集落へ向かいました。

小さな広場に女性がたむろしていました。
訊ねると全員が『トン族』とのことでした。

戻りは置石の素朴な橋を渡りました。

この時にハプニングがありました。

デジカメの液晶画面が真っ白になり、色々いじってみましたが復旧しません。
これでは、この次の村、その次の村、と予定していたのが無駄になります。

実は、このデジカメですが、2年ほど使っていたPanasonicのデジカメを5月13日に引ったくりに盗まれ、急遽台湾メーカーのデジカメをその当日買ったばかりの物でした。勿論、新品です。矢張りこういう物は日本製でないと・・・

デジカメで液晶画面がファインダーになっている場合、画面が真っ白ではどうすることもできません。日本に帰って直ぐに日本メーカーの物を買うとして、ここから先の画像は、運を天に任せて目標にレンズを向けてシャッターを押した物で矢張りまともな物はありません。残念、残念・・・

10:00頃に諦めて撤収にしました。残念でなりません。

直ぐに本物のバス(といっても、小型バスですが)来て、乗り込みました。(10:05)
黄色いシャツの車掌ですから、行くときと同じバスが、終点の『』から折り返してきたのでしょう。料金は同じく10元でした。

でも折角の機会です。ディスプレイ無しでシャッターを押して撮ったのが以下の写真です。
なんとか数枚は景色が記録されています。

走るバスの車内からの写真だけに明瞭ではありませんが、兎に角、2,3の特徴なある村々を通過しました。
(とくに《鼓楼》を見ていただけば判りますが、行けなかった村のものは屋根の層数多く、今でも残念に思っています)

『巴団』の《鼓楼》と、『花練』の《鼓楼》、そして行かなかった次の村の《鼓楼》を比較してみましょう。
明らかに違います。
それどころか、行かなかった次の村の《鼓楼》の層数が最も多いのが分ります。
この究明は次回に・・・

《巴団》の鼓楼

《華練》の鼓楼

《次の村》の鼓楼

バスの花練の発車が10:05で三江へ戻ってきたのが11:30。直ぐに橋を渡って『東站』へ。11:40着

『巴団』から『花練』へ、そして『三江』へと戻ってきましたが、《鼓楼》で名高い『馬畔』へはカメラが壊れている上に、既に
《鼓楼》を三ヶ所も見ているので次の機会に取っておいて明日以降の行動に便利な『柳州』へ向かうことに決めました。

液晶画面=ファインダーの壊れたデジカメで撮影するのは殆ど不可能です。
適当にカメラを向けてシャッターを押すだけ。きっちりと撮れているかどうか、再生して確
認しようにも液晶画面が壊れているからできません。

でも、結果は或る程度画像が確保できていました。

以降は全てこのようにして撮ったもので、枚数こそ少ないですが、何とかお伝えすること
ができているのを嬉しく思っています。

『柳州』にした理由はもう一つあります。

よく世話になる家の家政婦が(まだ若くて30前ですが・・・)『柳州』の男性と結婚して今
では故郷を広西『柳州』といっていたからです。若干ですが『柳州』という町に興味を抱
いていました。中国では、今でも《嫁入り》つまり《他家に嫁いでその家の者になる》とい
う考え方が根強くあります。田舎へ行く程その考え方が強く、実際は《貴州省》出身の
彼女が、春節などで《故郷へ帰る》ということは旦那側の実家へ帰ることを意味します。

《5月20日の出費》

《三江から柳州へ》

カメラ問題はさておいて、気を取り直して『柳州』行きの<直快>バス
の切符を買いました。
バスの時刻表によれば、『三江』から『柳州』まで、198km。
1時間に1本は確実にあります。
右の地図の如く、ほぼ真南です。

買ったのは、12:05発で50元でした。
『柳州』行きは<直快>ですから、面白味はありません。

ずっと走って15:10頃に市内へ入り、ターミナルに入ったのが15:40頃でした。
バスの中では明日以降の行動を思い巡らせていました。

『柳州』のバスターミナルに着いたものの、大都会にしては余りに雑然としています。
辺鄙なターミナルに着いたとしか思えません。

今夜の泊まりと思って付近を歩いて
も本格的な安宿ばかりで尺度に合い
ません。

次回の旅は《貴州省》にしようという思いがあったので、《貴州省》方面行きをチェック。

よし、これなら鉄道の駅へ行こう、と決めて3輪のバイタクに乗りました。『柳州』に鉄道の駅があることを承知していました。
8元とのこと、まあいいか、と思い乗りました。15分足らずで鉄道の駅に到着。さすがに立派な駅だし、付近も大都会の風
貌です。

今後のために駅を偵察してその後はホテル探しです。地図を購入、8元でした。
徒歩で駅前を偵察。

あるホテルでバスの時刻表が掲示されているのを発見。
それを眺めていると、『柳州汽車総站』という文字を発見。同時に、『汽車総站簡介』も。
こんな立派なバスターミナルが在るんだ・・・
だったら到着したのは何処だろう?疑問が大きく膨らみました。

この掲示があった一寸先の大きなショッピングモールの
一角にある『銀興商務賓館』を発見。
最近は、従来の賓館や旅館や旅業に代って『商務賓館』
という日本風にいうならばビジネスホテルを名乗るのが
はやっています。
概して設備も新しく、大体ネットが利用できます。

ここで値段の交渉。先ずネットが使えるかを確認して
80元で折り合いをつける。
16:30ごろチェックイン。

早速、『柳州汽車総站』への行き方をフロントに尋ねると、32番のバスで『魚峰山傍』で降りれば直ぐ、とのこと。

部屋に荷物を置いて町へ。そして夕食です。
再度鉄道駅の方へ向かい、ぶらぶらしてから夕食。駅前の大衆的な食堂に入り、所謂『ぶっ掛け飯』を食べることに。

8元+ビールが4元で計12元。
兎に角、米とビールが不味かった。
ビールに関しては、4元と5元があるがどちらか、というので迷い無く4元の方を注文したのが間違い。

食べ終わった頃、自分の料理の皿の写真を撮ったりしているのを訝った店の主人と女の子がやってきて、『何処から来たのか』
とか、『何人か』とかのお決まりの質問。
まともに相手をしてやると、日本のお金を見せてくれ、とこれもよくある要請。(今シリーズでも3回目)
持ってない、と答えると、さも残念そうに引き下がりました。
(よく外国であるような、悪い企みでの要請ではなく、純粋な単純な思いで言ってるのです。まだまだ田舎の中国人は純朴な
のです。)
=決して誤魔化しではなく、実際持っていなかったのです。
ホテルへの帰路、焼き物屋台の前を通りました。オネエサンが結構若くて綺麗だったので小を2ヶ、大を1ヶ買いました。
小は5角、大は1元、合計2元でした。別途うまい方のビール(3.5元)を買ってホテルへ戻りました。
この焼き物をツマミにビールを飲んで寝ました。
焼き物は固めのホットケーキ状の物に甘いシロップを少ししみこませた単純なもので、結構美味しかった。
バス 三江=巴団 10.0 三江06:40 → 巴団08:30
ミニバン 巴団=華練 3.0 巴団09:10 → 華練09:25
バス 華練=三江 10.0 華練10:05 → 三江11:30
バス 三江=柳州 50.0 三江12:05 → 柳州15:40
三輪バイタク バス站=火車站 8.0
地図 6.0
夕食 ぶっ掛け+ビール 12.0 8 + 4 =12
買い物 2.0
別途ビール 3.5
宿泊 80.0
合計: 184.5

翌日は、『柳州』柳州から『賀州』へ向かいました

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