今回の旅程と所要経費を別のページに纏めて掲載しました。(左の文字をクリックして下さい)

また、そのページには中国の全体地図を数枚掲載してあります。

昨、9月20日に買った黎平地区の地図はいいものでした。

町の通りの標識に『地捫侗寨44km』が書かれているのを見て初めて接した地名で興味を持ちました。
昨夜ホテルで色々調べましたがネットでは日本語の情報なし。地図を眺めて行き方等を検討していました。最初は地図だけを
眺めていたのですが、裏面に何箇所かの記事があり、『地捫侗寨』の記事がありました。
いよいよ地捫へ行くムードが高まってきました。

またこの地図を眺めていて判ったのは、バスの便が結構あるということでした。ただ地捫へのバスはなく、主要道の分岐か徒歩
等で5km程入らざるをえないということになります。でも、ここは中国、何とかなるさ、と思い切りました。

《地捫侗寨と高進(黎平から)》 2010年9月21日

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地捫は『茅貢』手前。では通るバスは?とデジカメで撮ったバス
の時刻表を見てみると、06:30発の『榕江』行きが最も早いよう
です。

06:30前に汽車站へ行き地捫行きということで切符を求めると
行き先は茅貢でした。12元。
バスは定刻に発車しました。
07:50に『寨頭』を経て、07:55に後ほど行くことにしている『高近』を過ぎました。

もう直ぐに茅貢だな、と思っていると車掌にここで降りろと促されました。08:05でした。(ともかく車掌に行き先を事前に告げて
おくのが得策です)

さて 、どうするかです。

バスは町中を抜けて走りました。直ぐ斜め前の二十歳前後と思える小姐がカップ麺を食べ始めました。

地捫への分岐です。ここから右へ入って5kmとのこと。
この分岐を地捫方面に入った直ぐの所に仰々しい地捫侗寨の大きな案内看板がありました。
切り取り拡大しました。
暫く分岐で見ていても地捫方向へ入って行く車もバイクもありません。また、出てくるのもありません。乗り合いのミニワゴンでも
あるだろうと期待していましたが当てが外れました。

バイクさえありません。30分以上も待ちました何も来ません。しばらくすると1台のバイクが主要道を走ってきました。それを捉ま
えて、地捫へ行ってくれないか、と訊ねると、いいけど50元だというのです。案内板ではわずかに5kmです。10元程度が妥当
なのに・・・ 高いというと、では30元でどうかです。私は10元だ!と主張。結局彼は去って行きました。

その後も乗せてくれそうな車は来ません。バスの車掌は便利なように分岐で降ろしてくれましたがそれが仇になっているのかも
知れない、茅貢の集落へ行けは何とかなったろうに、と車掌を恨みだしました。

既に1時間は経過しています。よし、茅貢へ行こう、と決めて通りかかったバスを停めました。茅貢は分岐から僅か1km程先でし
た。2元。

しかし何の進展もありませんでした。通常の集落ならばミニワゴンやバイタクが偶には五月蝿いほどいるのですが全くその気配が
ありません。30分以上も『地捫』、『地捫』と小さくつぶやきながら茅貢の通りを行ったり来たりぶらぶらしていました。

とある部品屋でバイクで来て何かのエンジンのファンベルトを選んでいるオッサンを発見。このオッサンならと狙いを定めて商談が
終わるのを待って直談判。10元で行ってやるよ、ということでやっと地捫へ行けることになりました。
オッサンのバイクの後ろに跨って茅貢を出発したのが10:00頃。
アップ&ダウンの山道を走り10:15に地捫の寨門に到着。それをくぐって少し下ると寨の全貌が望めました。
中へ入ってしまっても面白くないのでそこでバイクを降りました。
こうして苦労して地捫に着きました。

文字は、《地捫千三侗寨》と書かれていました。
西江に苗寨を訪ねた時にも《西江千戸苗寨》と
名が付いていました。それは千戸あったからだ
とのことですが、ここも以前(今も?)は千戸あっ
たからなのかも知れません。

寨門をくぐって少し下ると寨の全貌が望めました。こじんまりした侗寨のほぼ全体像が下に広がっています。ここからでは
数を確認できませんが幾つかの鼓楼や風雨橋(花橋)が下に見えます。
  (パノラマ撮影にしていませんでした。パノラマだったら面白い画像が撮れたのに・・・)

最初に直ぐ下に見えた鼓楼に近づきました。
塔屋2層を含めて13層のかなりしっかりとした鼓楼です。
《千三鼓楼》という名が付いていました。

中心部の遠景とその拡大画像です。

   パラボラアンテナが情景を壊しています。無粋です。(後から知ったのですが、煉瓦色でパラボラのある大きな建物は小学校
   でした、許しましょう)

いい天気です。気温も30℃位あるでしょう。
収穫した稲籾や唐辛子を乾燥させるには
鼓楼前の広場は最適な場所ですね。
地捫侗寨の案内板が設置されていました。
鼓楼の壁面には壁画風に絵が描かれていました。

正面中央にこの地区の風雨橋(後ほど訪れました)、左には収穫を喜ぶ農民達、右には闘牛の模様。
何処へ行っても子供達は元気でやんちゃです。

読むことができるように拡大しました。

興味深いことか書かれていますので、是非読んでみて下さい。

鼓楼を過ぎると直ぐにパラボラのある煉瓦建ての建物の小学校がありました。

小学校だけではなく、地域の農業技術
の教育センターでもあるのですね。

平日だったので授業が行われていましたが学校の中へ入りました。

目に付いたのが校舎の対面の戯台(舞台)でした。
立派なもので、《地捫戯台》という額が掲げられていました。

《地捫戯台》と読めます。

学校を出て少し進むと風雨橋がありました。鼓楼に描かれていた橋ですね。

橋の名が書かれています。
しかし、読めません。
〔衛〕なら意味が通じるので
すが、少し違うようです。

橋の全景です。河原に降りて右側からと左側から。

この《?塔橋》を便宜上、《橋》と呼ぶことにしました。

橋》の屋根の壁面には数多くの絵画が描かれています。

絵を全てご覧に入れます。

一旦引き返して川沿いの集落の中を進んで行くと次の風雨橋が現れました。
橋の名は《雙龍橋》(雙→双の旧字体)。
これは何とか判読できました。この《雙龍橋》を便宜上、《橋》と呼ぶことにしました。

この橋もなかなか立派で美しい橋でした。
壁面には《橋》と同じく絵画が描かれていました。

これも全てご覧に入れます。
内1枚が、少し先に建物がある『社区文化研究中心』という看板で隠れていたのは残念です。
橋を渡ると正式(?)な橋への入り口があり、ここにも絵画がありました。
11:30頃でしたから少し早目ですが学校か
ら帰宅する子供達が家路についています。
《雙龍》というからには何が・・・と思って橋全体を望める
ところへで行くと見えてきました。

橋の中央の楼閣に対になった《龍》です。

この項はまだまだ続きますが、余りに長くなるので
ページを改めます。矢印をクリックして進んで下さい。

《2010.11.06追記》
判明しました。

という文字でした。

当初訊ねた相手は年齢が30前後の中国人でしたが、『知らない』という答え。
諦めていたのですが、改めて年配の台湾人に訊いて判明しました。

意味はいまいちですが、《寨の中心の大通り》ということでしょうか。