《2.広州から鉄道で鄭州を経て石家庄へ》 

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きょうは、午後4時9分発の広州始発河南省の鄭州行きの列車です。

午後1時半過ぎに電光掲示板の私が乗る予定の列車の表示が《待安排(英語ではwait for the arrangement)》から《正在候車
に変わったのでゲートを通って(2度目です)駅構内の指定された待合室に移動しました。

広州始発だから余程のことがない限り遅れることはありません。何もすることがないので退屈ですが何が起こるか判りませんので待合室を離れることはできません。
定時は16:09発ですが、午後3時半頃に乗客が動き始めました。いよいよ実際の改札が始まるようです。


いよいよ改札が始まると、切符を切ってもらった乗客は皆急ぎ足で示されたプラットホームへ向います。走り出す者もいます。私もつられて急ぎ足になってホームに行き、指定の車両に乗り込みました。

2010年10月17日(日) 

3.鉄道で石家庄から
   太原、そして磧口へ
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ところが、驚いたことにはもう既に座席のほぼ半分は埋まっています。おかしいなぁ?かなり早く改札を通った部類なのに・・・

気付いたことがありました。待合室内で改札の始まる1時間前頃からお茶と1本の水付きの特別待合室の券を5元で売り出し、多くの乗客が殺到して買い求めていました。そして券を入手すると荷物を持って特別待合室へ移動していきました。私も事前にチェックしてその存在を知っていたのですが、10元だったので止めました。お茶と水だけに10元出すなんて、という思いからです。夜行列車に乗る訳ですから水もお茶もパンも牛乳も既に持っていましたから。多分、私の居た一般の待合室の乗客の改札を開始する前に特別待合室の乗客の改札を行ってホームに入れていたのでしょう。
中国の鉄道の長距離の旅を数回経験していますが、硬座では荷物の置き場所の確保も重要なのです。一般的に硬座の乗客は裕福ではありません。否、ハッキリ言って貧乏です。多くは農民工や出稼ぎ労働者の移動です。帰郷の際には多くのお土産を、また、都市に出てくる際には新規に購入しなくて済むように多くの身の回り品を持ち込みます。1人で数個の荷物は当たり前です。ですから網棚は直ぐに空間がなくなるし、座席の下にも荷物を忍び込ませます。定員を大幅にオーバーして立つ乗客が出てくるような場合には洗面所やデッキも荷物で溢れかえります。さすがにトイレだけは荷物に占拠されませんが・・・

ですから、座席指定で席は確保されていても、多くの荷物を自分の目の届く安心できる場所に収めるために先を争って車両に乗り込むのです。

我々の列車も満席で無座(立ち席)の切符も発売されているようで、発車時には日本的に言うならば130%程度の乗車率だったと推定しました。こうなると、洗面所もデッキも荷物でかなり埋め尽くされています。私は小さめのリュックひとつと列車内で消費する食べ物と飲料だけですから大した問題なく網棚にスペースを作って収めることができました。


ともかく、日本からメールでの依頼に基づいて切符を確保してくれた友人に感謝。
中国の硬座の車両は日本の新幹線の普通車と同様に、通路を挟んで2席と3席です。大きな違いは、座席が向かい合わせになっていることで、いわば4人席と6人席のミニコンパートメントになっています。大きなメリットは走行方向によって座席の背を反転させなくて済むことでしょう。

最大の欠点は肘掛が無いことです。それの有ると無しでは快適度に大きな差があります。日本の新幹線と中国の鉄道の軌間は共に1435mmで同じですから寸法的には肘掛の設置は可能ですから今後改善して貰いたいものです。

私のもうひとつの要望は、座席番号の付け方です。日本では数字とアルファベットの組み合わせが一般的で、多くの場合、数字が座席の列順、アルファベットは例えば通路を挟んで各々2席の配置ではAB<通路>CDとなっています。
<4B>なら前から(或いは、うしろから)4列目の通路側の席、<6A>ならば6列目の窓側の席というように買った段階で判ります。ところが中国の座席表示は数字の連番だけです。

今回の切符には[5車80号]と表示されているだけです。通し番号ではどの席になるのか全く想像が付きません。図をご覧頂けば判るように、最悪の座席は3人掛けの中央の席です。肘掛が無いだけにかなり辛い座席です。何とか3人掛けの中央でないようにと願っていたら、ピッタシカンカンの最悪でした。

この座席にあたる確率は、2/10ですから5回に1回です。それにしては私の命中率は高すぎる・・・
とも角、明日の朝8:31(定刻ならば)まで6人が16時間22分の仲間ということになりました。

私が好んで硬座を使うのは、和気藹々で旅の気分を味わえるからです。<ぶらぶらある記>ですから<予定は未定>でスケジュールに縛られませんので、寝不足で気分が優れなければその地でゆっくり休めばいいだけです。

何となく自己紹介をするような雰囲気もあり、判ったのは、

さっぱりした聡明そうな感じのいいお嬢さん。広州出身で鄭 州の大学へ行っているという。
②③若者の二人連れ。親密な仲ではなさそうで、二人の会話も殆どなく、食べ物も全く別。鄭州まで。
許昌で降りるオッサン
私、鄭州へ
駐馬店で降りるオッサン

私の隣の
のオッサンの荷物が多く、網棚に2ヶ、座席の下に3ヶ。特に座席下の荷物が大きく、座席下の全てを占拠するにとどまらずシートから前に5~10cmはみ出ているので私までもが不自由であった。
《駐馬店》着がほぼ定刻でした。窓側の隣のオッサンが降りました。
次の停車駅の《許昌》で通路側のオッサンが大量の荷物と共に降りました。

しかし、駐馬店・許昌共に多くの乗客が乗ってきて超満員となりました。立錐の余地もありません。
私の見たところ、180%程度の乗車率です。乗り込んできた乗客の殆どが大きな荷物を持っていなくて身だしなみも好いことから鄭州への通勤者か仕事で行く客のように思えました。

そして鄭州へは若干の遅れで08:50頃に到着しました。

《今回の列車の運行時刻表》

T256
站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
广州 16:09 16:09 0分 0
衡阳 21:18 21:20 5小9分 521
23:10 23:16 7小1分 707
武昌 次日02:35 2:43 10小26分 1069
信阳 次日05:04 5:06 12小55分 1303
驻马 次日06:12 6:15 14小3分 1399
漯河 次日07:01 7:03 14小52分 1465
次日07:35 7:37 15小26分 1519
次日07:50 7:52 15小41分 1541
次日08:31 8:31 16小22分 1605
黄土地帯へのゲートウェイを《太原》と決めていました。
当初は、鄭州で1泊して鄭州を見て廻ってから翌日に 太原へ行こうと考えていましたが、夜行列車の中で気が変わりました。鄭州へは過去に2、3回来ているし、それ程面白かった記憶もないうえに夜行でも着いても余り疲れがなかったので鄭州で泊まるのを止めて別の所へいくことにしました。

鄭州から太原への列車は調べてありました。朝に高速特急が1本あり、鄭州発が08:51で太原着が13:26で、翌日にそれで太原へ行くつもりでいました。それを過ぎると2本の夜行列車のみです。さすがに2晩続けて夜行は体力的にも辛いものがあるでしょうから地図を眺めて《石家庄》へ行くことにしてそこで泊まることにしました。《石家庄》は河北省の省都ですが、数年前に赤ちゃん用の粉ミルクに蛋白質の含有を多く見せるためにメラミンという化学物質を意図的に混入した事件の会社があった都市で一躍有名になったところです。私自身、河北省へは行ったことがありません。
鄭州から石家庄への列車はいくらでもありました。10分か15分おきにある程です。

特に注文を付けずに窓口で買えた切符が、 鄭州発10:45のT254列車でした。
買ってからよく見ると《無座》でした。まあ何とかなるだろう、と構内へ入り、待合室で待ちました。

更には、この列車は広州始発の天津行きでした。最初からこの列車にしておけばよかった!は後の祭り。
待合室で待ちました。もうそろそろ改札が始まってホームへ案内されるのかな、と待っていても一向にその気配がありません。
そこで改めて電光板を見ると、ついさっきまでここで待つようにとの表示だったものが、『T254次 晩点到達 請注意広播通知』に変わっています。こりゃ参ったな、今が午前11時前なのに夜になるなんて・・・、と狼狽しました。《晩点》だから夜だろうと思ったのでした。ところが、改札口の前に陣取っている連中が動きません。あの連中はあそこで夜の何時になるか判らない列車を立ったまま待ち続けるのだろうかと訝りました。
ところが11時20分頃に改札が始まりました。おかしいなぁ、晩=夜になると表示されていたのに・・・
ホームには既に列車が入線していました。私の切符は16号車の《無座》です。ところが鄭州からの客の殆どが16号車に殺到していて乗り込むのが戦争状態になっています。私は小さなリュックひとつですから間隙を抜って潜れ込めましたが他の連中は両手に抱えきれない程の荷物があるので悪戦苦闘しています。私でさえも16号車のデッキの片隅に何とか居場所を確保できましたが誠に不自由です。隣の15号車を見ると中ほどの通路に空間が見えます。潔くデッキの隅の空間を放棄して15号車の中ほどまで人と荷物を掻き分けて進むことができました。空席を見つけて座るなんて夢の夢です。とにかく自分の居住空間の確保が先決です。
列車はほぼ1時間遅れの午前11:40頃に発車しました。ここで困ったことがあります。石家庄までの所要時間と途中の停車駅です。この列車に乗ることが決まっていれば(通常は決まっているのですが)途中の停車駅と到着時間・出発時間などをメモにして持っているのですが、今回は何もありません。要は、データが無い状況で乗っているのです。更には石家庄の発音さえ知りません。通路で立っている状況ですから他の乗客と親しくなるチャンスも取り敢えずありません。63元という運賃からして3~4時間程度だろうというおぼろげな感触だけが頼りです。
正午も過ぎて0:50頃、立っていて寄りかかっていた座席の若者が席を譲ってくれました。座っているのも疲れたので立って足腰を伸ばしたいのだろうと思いながら有難く座らせて貰いました。そのうちに彼がトイレへ行き、戻ってきたので立って席を空けようとすると、自分は次で降りるからもう座らないと言いました。ラッキーです。結局立っていたのは1時間少々で済みました。次の駅、安陽着は13:15でした。
次の停車駅は《邯鄲》でした。14:30でしたから1時間以上遅れていることになります。
《邯鄲》は「邯鄲の夢枕」として日本でもかなり知れれています。
 「邯鄲の夢枕」という故事は、廬生(ろせい)という青年が夢を抱いて旅に出て、邯鄲の都の宿に泊まり、ご飯が炊けるまでの間、同じ宿に泊まった呂翁という道士から枕を借りてうたた寝をしている時に見た夢についてのお話です。
二人掛けの通路側の席でしたが、窓側は女学生風でした。次の停車駅に近づいた時に、紙に《石家庄》と書いた物を示しながら、ここか?と訊くと、違う、とのこと。
特に話もしなかったのですが、16:00を過ぎて列車がスピードを落とし始めたときに、次だよ、と言ってくれました。目的の駅の到着時間も知らず、途中の停車駅の数も判らずに乗っているというのは不安なものです。また、中国の鉄道駅の駅名表示板が非常に少なく、通過している駅なら当然でしょうが、停まっていてもその駅名を知るのは容易ではありません。
このように、色々あって何とか最初の宿泊予定地である《石家庄》には16:26に到着しました。

降りた乗客よりも新たに乗り込む乗客数が多く、大混雑です。駅員も大忙しです。

《初めて見る石家庄站》

石家庄ではホテルに苦労しました。
4、5軒断られました。理由は単純で中国の身分証がないと泊められないというものでした。

要するに、外国人は駄目だということです。外国人は超高級の5ッ星に泊まれということでしょう。
一応1泊100元を目処にしている私に取っては大問題です。

やっと168元というビジネスホテル(高い!)が泊めてくれそうなのでほっとしたものの、宿泊登記の際にフロントのお嬢さんが何度も電話で問い合わせているので心配をしたが結果的に大丈夫だった。ここも本来は外人は駄目だったのかも知れない。
(チェックアウト時に150元になっていて嬉しかった)
ホテル探しに疲れて夕食をまともにとる気がなくなり、記録(写真)には撮っていませんが、イスラム風の餅に炒め物を挟んだ物を肴(2元)にビール1本(3元)を飲んで夜行の睡眠不足もあるので早々にベッドに入りました。