《7.黄土高原を運城へ 壷口瀑布~吉県~運城 

2010年10月21日(木)=<続き>

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彼のチャーターしたミニワゴンに便乗させて貰っている状況です。
彼は吉県に着いたらバスをチェックして今日中に西安へ遅くなっても入るんだ、と言いました。
私は、この後の行程を全く決めていませんでした。
当初は磧口では2泊することを考えていたのですが1泊で済みました。
ここ壷口瀑布でも付近で1泊と思っていたのですが順調に廻れたので泊まる必要はなさそうです。
きょうの朝、09:30頃の吉県バス站です。
《西安》と《運城》行きの空のバスが停まっていました。
《西安》行きは09:35に発車して行きました。
《壷口瀑布》を見たあと、黄河を右手に、『秋』を満喫しながら4km程度の道程を歩きました。
途中、2、3度、ミニワゴンが停まって乗っていけ、という仕草をしましたが断って歩き続けました。

あと500m位で門票を買ったゲートかな、と思った時に停まったミニワゴンが、オバサン運転手で、『どこまで行くの?』と。私は『この先からバスで吉県へ』というと、『いまこの人、1人を乗せて吉県へ送って行くんだけど10元でいいよというのでお金と時間の両方を計算すると悪いオファーではないので乗ることにしました。

12:45でした。
ミニワゴンには当然ながら先客がいました。
50前ぐらいに見えるオッサンでした。
このオッサンが懸命にデジカメで景色を撮っています。

オバサン運転手の運転でこのオッサンと吉県へ向かいました。
来る時に満員のバスから見えた黄土高原を見ながらのドライブ
です。
オッサンは悦に入ってる様子です。
中国人らしいのですが珍しく芥子色の派手目のブレザー姿です。
仕事帰りではなさそうで旅行者風に見えます。

<左:オバサン運転手> <右:(正体不明の)オッサン>
途中でトラックが路肩を踏み外して大渋滞になっていましたが、ミニワゴンは横をすり抜けて行きました。

壷口から吉県へも車窓から・・・(13:00過ぎ)

吉県で1泊しようかな、と考えている内に吉県の来る時に休憩したバスターミナルに着きました。
2時前です。中途半端だな、泊まるにしても早すぎるし・・・
かといって次へ移動するとしても何処かな?

このオッサン、不思議なオッサンでした。住まいは河南省と言い、本に従って旅をしていると・・・すっかり意気投合してしまいました。

余程余裕があるのか、それとも単に変なオッサンなのか?
でも、身だしなみはきちんとしています。

彼は食事をするから付き合えと言います。私は特段空腹を感じませんでしたので、バナナ、1本1元を買ってました。

オッサンの注文したのはこれです。
私にとっては幻の《螺(Luo Si)粉》でした。
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右のこの店の看板をご覧下さい。最上段に、というものがあります。
実は、数多くの《桂林米粉屋》で見ていて、一体何なんだろうかと疑問に思
っていました。私は、『田螺(たにし)、栄螺(さざえ)』の難しい漢字を知って
いましたが、が何を指すのかが判りません。ここは内陸だから、サザ
エはない筈で、ではタニシだろう、しかし中国だけに食べる勇気はありませ
ん。そういうことで今回もスキップしました。
戻ってきてから、中国の友人に質問しました。『粉は具がタニシの麺な
のか、おいしいのか?』と。
彼は、一瞬キョトンとして、笑い出しました。何と、米粉で作った普通のもので、
麺状にせず、巻貝状に成型したもの、とのこと。私の知っている範囲では、マ
カロニの一種で、貝殻状のものがあります。要は、米粉で作ったそれなのだ
そうです。一件落着。
http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub183.htm
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私のHPから・・・

彼は3時過ぎのバスで『西安』へ向かうとのこと。まだ1時間以上あります。

私は何処へ行きましょうか・・・
既に廻った山西省の磧口と壷口瀑布の印象が強烈で他に行き先が思いつきません。
かといって『西安』には過去3回行ってるし、他にどこか・・・

私は行き先を決めました。『運城』です。
『運城』には2008年4月4日に訪問してその模様は以下にレポートしています。

私が余りに彼の注文した《螺(Luo Si)粉》を見つめるので半分お裾分けしてくれました。
尤も、ご覧のようにかなりの量がありましたから。
(中国人にたかる日本人・・・と思われたでしょうか?)
結構なお味でした。

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《山西省運城・中国死海》2008年4月4日

山西省の運城市に塩湖が在るのを知りました。
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朝、このバス站で休憩した時に写真を撮ってあります。そして行き先は、

吉县乡宁西坡河津运城
吉県郷寧西坡河津運城
と書かれていました。

所要時間を訊ねると3時間とのことですから、多少遅い時間でも大きな町だったからバス站付近にリーズナブルな賓館はあるだろうと思いました。

西安へのバスは何時と彼に訊くと、ここ吉県からの直行はきょうはもうない、『河津』という所まで行けば西安行きのバスがまだあるので先ずは『河津』へ行く、と言います。
では同じバスじゃないかということになりました。

この時は、死海=塩湖=解池だけの訪問でしたが、他に何か面白いのがあるかも知れない、それに北から南に下って来ているから順路でもある、こういう単純な理由で運城にしました。

訊くと、運城へのバスは15:20発車とのこと。

バスの発車まであと未だ30分以上あります。

朝に梨と林檎を売っていた場所で向日葵の種が売られていました。
4、5包みあり、種類が若干違うようです。売り子にどれが一番美味しいのか、と訊くと、これと指で示してくれました。

摘んでみると確かに美味しい。別のも味見すると違う。
でも向日葵の種を食べるとゴミが多く出るので止めて横の物を訊くと、煎ってあると言います。大豆でしょう。味見すると結構美味しい。昔の味がしました。それを1元分買いました。
バスを待つ乗客も、店の店員も、車掌・運転手、バスの運行管理者も和気藹々と遊んでいます。
私が中国語を余り喋れない日本人だと判ると皆さん私に興味津々です。

歳は?何をしてる?家族は?何処へ行ってきた?何処へ行く?質問攻めです。
ひとつ判らなかったので紙を差し出すと、

今までに何ヶ国行きましたか?
との質問です。
咄嗟に《50ヶ国》と答えると、へぇーという顔をされました。
(実際は30位かな・・・)
『運城』へ向かうバスは既に吉県のバス站の奥にありました。
朝とは違う車体の色のバスです。

乗車前にスナック等を買い込みました。
袋入りの小麦粉を練ってカリカリに揚げた物 3元
煎った大豆 1元(既出)
煙草 8元(2箱)
そして相棒のオッサンと一緒に乗り込みました。
定刻に発車のようです。


吉県という町は黄河に沿った細長い町で、ゆっくりと客を拾いながら走っていきます。
乗客はそんなに多くありません。

10分位で町の中心部と思える所に着きました。
そして15:30過ぎに本格的に発車。
乗客は半分程度だったでしょうか。
この段階で車掌に運賃を支払いました。45元。
我々は始発かのバス站から乗っていますからいい席を占めています。
私は運転手の直ぐ後ろの席、彼は通路を挟んで横ですから2人共最前列ということになります。
(前に障害物がないので彼の席の方がいいのですが、往々にしてここは車掌の席だということで退かされることがあるので私は避けたのでした。)






バスにはカードが備えられていました。

  《小付橋》が我々が遊びながら時間を潰していたバス站なのでしょう。

  《橋南》は町の中心部の発着場所なのでしょう。站の設備はありませ
  んでした。
我々の乗った『運城』行きのバスが発車する直前頃にけたたましい楽曲と共に走り去った数台の車がありました。バスは直ぐ追い付きました。
葬式の車列でした。
所変われば、で皆さん白装束です。

抜きつ抜かれつが5分程度続きました。
葬式の車列を抜き去ると、黄土高原に入りました。

またまた素晴らしい景色が続きます。
ヤオトンも見えます。

この辺りは果樹が多くありました。水田は全くなく、麦が主体でした。
16:15 郷寧
16:55 西坡 (河津へ23kmの標識)
西坡は炭坑の町でした。
ここを過ぎると岩石と地面の色が変わりました。黄土高原を抜けたのでしょう。
17:10 河津に入る
17:20 河津市内に
17:25 河津市客運站(河津汽車站)到着、但し站の中へは入らず
相棒が手を振って站の中へ入って行って消えました
(西安までよい旅を、です)
17:58 臨崎通過(運城へ31km)
そして、
18:55 運城市汽車客運中心站(運城中心站)到着
客引きを断り自分でホテル探しです。
158元という三星級と名乗る結構立派なホテルが站を背にして道路を渡った右手にあるのを最後の砦としてPCのある100元までの部屋を訊いて2、3軒廻りました。
(実は、持参しているネットブックが磧口で反応しなくなりました。常にリュックで運んでいましたからガタが来たのでしょう、日本へ戻ったら新しいのを買おうと思いました。だから、メールのチェックとデータを入れたUSBメモリーを読む為にPC=電脳が必要だったのです)

結局バス站の真正面の『嘉瑞賓館』になりました。そこのフロントのオネエサンが結構若くて美人で愛想がよかったからです。19:30にチェックイン、電脳房が100元。
部屋まで荷物を持って案内して電脳の使い方等々を説明してくれました。
電脳は問題なく動きました。日本のヤフーにも繋がりました。
20:00頃、何処で食事をすればよいかとフロントのオネエサンに訊くと、このホテルの直ぐ隣が食堂がいいと言いながら付いてきてくれました。

食べたのはこれ。
6元+ビール5元=計11元の夕食でした。
22:00頃、若い女の声で電話が掛かってきました。
中国語なので、
听不懂
ting bu dong ( 1 4 3 )
(チンブートン)
といってもなかなか切りません。
とうとうこちらから電話を切りました。

想像を逞しくすると、フロントのオネエサンが自分を売り込んできたんではないか・・・

翌朝に、昨晩電話を架けてきた?とでも訊いてやろう、と思って寝ました。


さて、翌朝です。残念ながらフロントには女性の姿はなくオッサンがひとりでした。

上に掲げた地図よりももう少し広域の地図です。ご参考にして下さい。

http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub142.htm