《1.広州から昆明を経て金平へ 広州~昆明~金平 

2011年1月9日(日)/10日(月)
12月に引き続いて【雲南省】です。
12月23日に帰国して日本で年末年始を過ごして直ぐに1月6日に日本を発って広州へ飛びました。
数日の広東省での滞在の後、1月9日に広州から【雲南省】の昆明へ飛びました。

行き先は12月と同じ【雲南省】の【紅河哈尼(ハニ)族彝(イ)族自治州】で、12月で行けなかった所をつぶしておこうと考えたのでした。

いつもは広州鉄道駅(火車站)の横にある《民航售票処》前から空港へのバスで
広州空港へ向かっていたのですが、地下鉄が空港まで延長開通到達したので
今回は<地鉄>にしました。(地鉄運賃12元、リムジンバス運賃16元)

<広州火車站>から<機場南>へは2号線から3号線への乗継となるのですが、
乗継站の《嘉禾望崗》の站では同じプラットホームの反対側ですから便利です。

そして昆明着もその遅れを引きずったがこれ位は許容範囲内でしょう。

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 (何故か建水古城
     になります)

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実は、成田から広州へのJAL機の中で不用意に空いていた隣の座席の上に
置いた財布を置き忘れたので、早く空港へ行ってJALに問い合わそうと思って
早く空港へ着くようにしたのでした。


JALの東京行きのチェックインは未だ始まっておらず、係員の姿がなかった。
電話でと思い、1人だけ居た男性のスタッフにJALの空港の事務所の電話番号
を訊ねると、教えてくれた後で、『私はJALのスタッフですが何か?』と言われる。
これ幸いと用件を伝えると電話をしてくれたが、『現時点ではないようです』との
ことで結局諦める。

今回も中国南方航空で昆明へ向かうが、前回も利用したセルフチェックイン機を使ってチェックインを済ませる。
カウンターだとチェックインの開始時間が当該機出発の1時間半前だからチェックインをする荷物がある場合は早く着いた場合でもセルフで済ませ
て荷物だけでも早くても受け付けて貰えるので身軽になれて便利だ。今回も機内持ち込み制限品があったのでそうした。
(早い荷物のチェックインでも無事に昆明で出てきたのでほっとはしたが・・・)

CZ3407便は定刻13:40発。

到着便が遅れたことと空港混雑で少し待たされてボーディングブリッジを離れたのは20分遅れの14:00であった。

機内食は2つの選択の中から『シーフードヌードル』を選びました。シーフードスパゲッティーに似て非なるものでしたがまぁまぁでした。
フルーツは12月と同じで『キンカン』でした。食事にサービスの時にビールを頼んだのですが無いとのことで中国茶を貰ったのですが、ほぼ食べ
終わった頃に男性スチュワード(当然スチュワードは男性ですね)がビールを持ってきてくれました。当然おいしくいただきました。

前の昨年12月の帰りの時に利用した市バスで昆明鉄道站へ向かう事にして
少々待ったが1元で昆明火車站に程近いバスターミナルに5時半前には到着。

さて次はホテルです。明日はバスで南の方面に移動です。南と東方面行きの
バスは『昆明市東部汽車客運站』の発着で、昆明站バスからは60番のバス
で行くことになるので昆明火車站に至近でバス站にも近い方がいいのでその
地区に限定しました。

バスを降りて直ぐ筋向いに『昆明公交集団・里程快捷酒店』という新しそうな
ホテルがあったので価格を訊くと138元という。
理想は100元以下なので一旦引き下がって次を当たることににました。
通りを渡ったりして2軒ほど入りましたが、160とか180というので結局元に
戻りチェックインをしました。

多分開業して1年も経っていないと思えるホテルで、部屋は狭いながらネット
も快適で居心地のいいホテルでした。





チェックイン後に徒歩で直ぐの昆明火車站に行き切符の発売窓口等の下調べ
をしました。
今回の旅は帰りは貴州省の貴陽から飛行機で広州へ戻ります。従って昆明か
ら貴陽まで500km弱を鉄道で移動する計画です。立ち席はご免なので切符
を入手する必要があるのです。でも候補列車等のデータを持って行かなかった
ので発売窓口や発売時間等のチェックだけにしました。
この頃から小雨が降りだし始めていました。悪い、嫌な予感・・・

小雨の中、改めて食事に出るのも面倒なので、ホテルへの戻りに直ぐ傍の店
で《蒸し餃子》4.5元とビール2本6.4元、加えて煙草4x4=16元を買ってホテ
ルへ戻りました。
そして《蒸し餃子》をつまみにビールを飲みながらPCで明日以降の予定を検
討して(こういうのを至福の時間というのでしょうか)からベッドに入りました。

これにて1日目は終了です。

2011年1月9日(日)

2011年1月9日(日)/10日(月)

翌、1月10日は5時頃に起床する。
寝心地がよかったのかぐっすり眠れました。多分、ベッドの硬さと枕が合っていたのだろうと思います。

でも外は小雨模様です。この時間では外は真っ暗らで、7時かなり過ぎないと明るくなってきません。

先ずはホテルのチェックアウトの下準備をしておいて暗いうちの6時頃に昆明火車站へ傘をさして向かいました。そして、10分もない位の並びで
首尾よく前夜にチェックして決めていた1月16日昆明火車站07:00発1258列車六盤水への切符を入手できました。硬座で31元。

そしてホテルを06:50にチェックアウトして通りの向かいの60番の『昆明市東部汽車客運站』行きのバス乗り場に行くと、ものの数分足らずで
バスが到着して乗り込みました。乗客は私を含めて2人でした。
途中の乗降も殆どなく、殆ど空の状態のバスは07:50に『昆明市東部汽車客運站』に到着。やっと空が明るくなってきましたが、空模様が悪い
ので12月の時点より明けるのが遅いように感じました。いよいよ【紅河哈尼(ハニ)族彝(イ)族自治州】への旅立ちです。

さて、今回の行き先ですが12月に行けなかった『紅河哈尼
(ハニ)族彝(イ)族自治州』の『金平』へは是非と考えていま
した。
《東部客運站》へ着いて《金平》へのバスを電光板でチェック
すると、日中の便は10:00発の1本のみで夜には夜行が2
便あり、所要時間10時間というものでした。

10時間かかるということは、10時の定時に出発しても到着
が午後8時です。この時間は一応の建前で一般的にはそれ
よりもかかるということを経験上知っています。ということは
午後9時前後の到着を考えておかねばということになります。
午後9時前後の田舎への到着ではホテル探しが大変だろう
からと、地図を頭に描きながら《蒙自》や《建水》を経由地と
して1泊して翌日に《金平》へ行くべきか、かなり悩みました
が、《金平》行く機会は多分もう無いだろうからそれならば
10:00の便で直行しよう、宿は何とかなるだろう、ということ
にして切符を買いました。126+保険4=計130元。

この<保険>ですが、中国では長距離のバスでは殆ど
の場合、強制的に保険を買わされます。今回は4元で
したがこれが外国人の私にどれ程有用なのかいつも
疑問に感じています。

10時間、或いはそれ以上ののバスの旅。売店で水2元と小さなパン3元を
仕込みました。
それよりも、想像した以上に寒いので、上下共にもう1枚重ね着をして備え
ました。(結果的にこれは正解でした)

バスは10:17に実発車。座席の位置が悪いことに加えて小雨で視界
が開けない。滅多にないことですが、うとうととして気が付くと思ってい
たルートと違うルートで南下しています。
『玉渓』という所に入っているようです。

そして昼頃に休憩。
茶店ですることがないので『茹でトウモロコ』を買ってバスに戻ってかじ
りました。3元。高い!1元か2元が妥当。

この後どんなルートで《金平》へ向かうのかというのいが関心事で、地図を見
ながら目を凝らしていました。

『通海』という所を通過して《建水》《蒙自》《河口》という高速に入りました。

14:20頃に《建水》で高速を下りました。あれれ!《建水》から南下して《金平》
というルートがあったのかな、と思っていると、《建水》で高速を下りたのは荷物
の受け渡しの為で、それが済むと再び《蒙自》《河口》の高速に戻りました。

《蒙自》へ入ったのは15:30頃。バスターミナルに寄るのかな(煙草を吸
いたかったからです)と思っているとバイパスを経由したのか15:50には
もう《河口》方向という高速に入っていました。

次の関心事は何処で高速を下りるのかということになりました。
この高速の終点であるベトナムとの国境の《河口》まで走り続ける筈はない、と
思っていると高速を『蛮耗』というインターで16:35に下りました。

ここからは《下道》=一般道です。

急に道が悪くなりました。
道路の改修工事がまだ半ばという状況でバスは難儀しながらの走行です。

《蛮耗》という集落に着いたのが17:00、
ここに公安のチェックポイントがありました。

公安がバスに乗り込んできて《身分証》のチェックです。それも一瞥するのでは
なく、全員分を一旦預かって何やらと照合しているようです。
私はパスポートを取り上げられました。

でも危惧することなく、5分後位に再度乗り込んできた公安が中国人の身分証
を名前を読み上げながら返却しました。
外国人は私ひとりでしたから何も言わずに丁寧に返してくれました。

それも済んでしばし休憩です。運転手はぶっ掛け飯です。仕方なく、私は殻付
きのピーナッツ(3元)を買ってボリボリやっていると17:40に再発車です。

そうこうしている内に闇が襲ってきました。もはや私の関心事は何時に《金平》に着くのかということになっていました。

集落の灯りが見えてくると、《金平》かな、と期待すること数回。もう8時を過ぎました。

そしていよいよ、やっと到着しました。20:40でした。実発車が10:17でしたから10時間30分掛かった事になります。

さて問題のホテルです。ネットで集めていた情報では、バス站の横に
『金運賓館』というホテルがあるとの事でしたがそんなものはありませ
ん。あったのはバス站に隣接した『交通賓館』ですがひらめくものがあ
りません。

バス站の前に大き目のカラオケがありました。

そこを左に曲がるとホテルらしきものがあったので飛び込みました。
パスポートを示して泊めてくれるかと訊くとOKです。料金は何と40元、
余りの安さに訝っているとわざわざ紙に《40元》と書いてくれました。
『華坤サウナ』の宿泊部門でした。ネットは?と訊ねると『ない』との
ことですが、時間も時間だし他を当たることもできません。それよりも
泊まるところが確保できた喜び・安堵感が大きく泊まることにしました。

背を向けたオネエサンは少数民族の伝統衣装を身に着けて
野菜の選り分けをしていました。
(顔をこちらに向けてくれなかったのが残念!)

《金平汽車客運站》です。(翌朝の撮影)

40元(=約500円)にしてはまずまずの泊まり心地
で、連泊をしてもいいな、と思う程でした。

翌朝のことです。どうも小雨が降り続いているよう
です。
持って来たメモリに入れてある情報をチェックする
為にパソコンを設置して立ち上げると無線の反応があります。
繋がるかなと試みにクリックするYahoo Japanが現れたではないですか!

事情は判りませんが取り敢えずメール等のチェックをさせて頂きました。また、スカイプで日本ともビデオ通話さえも。

外は小雨。天気予報では明日も同じような天気だとのこと。

翌朝、《金平汽車客運站》へ行き、時刻表等のチェックをしました。

《蛮耗》という集落に着いたのが17:00、ここに公安のチェックポイントがありました。
と書いたのですが、上に示した日本語版の地図には<蛮耗>という地名が有りませんので手持ちの中国語版で探してみました。
すると、三つとも<蛮耗>ではなく<蔓耗>と記載されています。

上は現地の看板、下は中国語版の三つの地図(蔓耗が中心になるようにカットしてあります)

河口から紅河沿いの危うい未舗装道路をオンボロ・バスで北西に3時間、90kmほど遡ると曼耗(manhao)という小さな
集落を通り掛る。バスは僕をそこで降ろして更に川を遡って行ってしまう。この集落の先に橋が架かっている。この橋の
名前は蛮耗(manhao)橋という。なぜ集落名と橋とで漢字が異なるのか不思議だ。河口のバスターミナルの路線図やそ
こで買った地図でも混乱しているようだ。中国語には声調という発音の高低があり、ご存知の通り北京語の声調は4つだ。
「曼」と「蛮」はともに「man」という発音だが、前者は4声(4番目の声調)、後者は2声なのだ。ところが実は雲南方言では
北京語の2声が4声に、4声が2声になるらしい。この辺りの事情が漢字表記の混乱を来たしているのかもしれない。
 とにかくその橋を渡ると粗末な公安詰所(警察のチェックポスト)がありパスポートなどを調べられる。何処へ何をしに行く
のだと非常に不審そうに訊かれる。1998年当時にはまだそれほど外国人旅行者は多くはなかったのかもしれない。
 橋を渡ると民家は無いのだが何故か近くに数件の飯屋がある。その中の一軒の掘っ立て小屋で昼食を取っているとバス
が橋を渡って来る。慌てて飛び出したのだが、実はこのバスはここで食事休憩の為に停車するのだった。この先、幾つか
の峠を越える。その山肌は正に「耕して天に到る」の言葉の通りの見事な棚田だ。この一帯は少数民族地帯としてと同時
に棚田の美しさでも有名なのだ。うねうねとした70kmほどの山道を2時間15分、バスは狭い盆地に到着する。

《そんなものどっちでもいいじゃないか》という声が聞こえてきそうですが、私と同じような疑問を抱き、解決しておられる日本人
の方がいらっしゃるのですね、感心します。それを無断引用させていただきます。このかたは<金平>へ行かれたのですね。、

これでも未だ解決にはなっていません。改めて字典で調べてみました。ところが、《蛮》と《蔓》は同じ音なのです。ただ、《蔓》の
②(330頁)とは音が異なりますが、一般的な《蔓》は329頁でしょう。いやはや中国語は難しい・・・