次の対象を『水族』に定めて《三都》へ下見に行ったのは先月、2011年3月18日でした。
http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub480.htm

今回はそれを受けて凡そ1ヵ月後に三都へ入ることにしました。
入るルートは、広州から貴州省の貴陽と遵義へ行くK841列車で《都匀》へ直接入り、都匀からバスで三都へ行くという最短の道のりを辿る
ことにしました。

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2.堂安侗族生態博物館
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2011年4月16日(土)
2011年4月17日(日)
2011年4月18日(月)

《1.貴州省・三都に水族を訪ねる 

站次 站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
1 广州 13:48 13:48 0
2 佛山 14:24 14:27 36分 22
3 肇庆 16:05 16:07 2小时17分 109
4 茂名 19:27 19:35 5小时39分 371
5 玉林 21:50 21:56 8小时2分 546
6 贵港 22:54 22:57 9小时6分 635
7 来宾 0:21 0:24 10小时33分 754
8 柳州 1:15 1:42 11小时27分 824
9 金城江 4:13 4:30 14小时25分 985
10 南丹 5:28 5:32 15小时40分 1053
11 麻尾 6:25 6:32 16小时37分 1138
12 独山 7:37 7:43 17小时49分 1217
13 都匀 8:24 8:26 18小时36分 1283
14 贵定南 9:12 9:19 19小时24分 1323
15 龙里 9:55 10:13 20小时7分 1393
16 贵阳 10:42 10:59 20小时54分 1444
17 息烽 12:19 12:23 22小时31分 1517
18 遵义 14:02 14:02 24小时14分 1599

今回も前回と同じく軟臥(1等寝台)の切符をj事前に在中国の友人に依頼して取って貰いました。

軟臥とは贅沢なのですが、1度味をしめるとなかなか容易には硬座(2等座席)には戻れません。
(でも、1283km・18時間36分の鉄道の旅を6000円足らずで味わえるのですから安いものです)

帰りは4月24日に現地発の列車と考えていました。発売は10日前ですから4月14日の筈です。
でも14日に窓口へ行くと明日だとのこと。未確認ですが、どうやら発売初日は発売箇所が限定されているようで、翌日に再度出向くと問題なく
買えました。買った場所は最も近い広東省の東莞站で、買った切符は
4月24日 桂林発21:20---(K950)---広州着08:37(4月25日)同じく軟臥というものでした。

戻りを何処から乗るかと思案しました。地図を仔細に検討し、行動を頭に描きながら『三都』から南東方向への移動になりそうなので乗車站を
『桂林』したのでした。

これで、
  行き:4月24日広州発13:48---(K841)---都匀着08:24
  戻り:4月24日桂林発21:20---(K950)---広州着08:37
という今回の旅の大枠が決まりました。

さて、4月16日(土)旅への出発です。

広州火車站へは11時半ごろに行きました。前回と同じく入場前に5元の
弁当を買ってから《軟臥》の《候車室(待合室)》へ入りました。
軟臥=1等寝台の特権です。大き目のソファーがずらりと並んでいますが
乗客は2、3人しか居ません。そこで《5元》の弁当を頂戴しました。

今回乗車する列車はK841の広州発遵義行きです。一般的に同じルート
の到着した列車の折り返しですから調べてみると遵義発広州行きのK482
の広州着は12:18ですから多少の遅れを勘案しても13:00頃には到着
している筈です。
そう思って1時前に《候車室》を出て遵義発の列車が入線しているプラット
ホームを探して行きました。

思った通りに列車は入っていましたが清掃等の準備の作業中で車輌に乗り
込むことはできませんでした。
でも、元鉄ちゃんとしてはそんなことは苦にもなりません。車輌を見ている
だけで満足なのですから・・・

綺麗な若い車掌が各車輌のドアに立ち始めました。いよいよ乗車OKです。これらの写真の電光時計は13:31と13:32を示しています。
因みにデジカメのデータは全て13:32撮影となっています。
前回、3月の旅で初めて《軟臥》に乗ってその快適さに大いに満足しましたから今回も《軟臥》にしたのでした。

軟臥は上下向かい合わせの4人のコンパートメントです。3月の旅の時は二人のリビア人と中国人の若いオカアサンでしたが、今回は広州を
発車する時点で私ひとりだけでした。途中、広州の郊外の《仏山》から中年のオッサンがひとり乗ってきましたが結局はずっとふたりの儘でし
た。他のコンパートメントは半分ぐらいは空でした。閑散期なのでしょう。

途中、2度ほど目を覚ましましたが、さすがに軟臥でよく眠れました。
都匀には定刻の08:24よりも若干の早着で、写真には08:16という電光時計が写っています。

2011年4月17日(日)

しつこいようですが、今回の旅は3月の続きで、3月に下見だけで終えた『三都』から開始することにしていました。
ですから《三都》へ入る為に最も近い《都匀》へ鉄道で入ったのでした。

都匀には面白いものが無いのは3月で判っているので都匀の火車站から直ぐに3路の公交バスで《三都》行きのバスが出ている《平橋》の
バスターミナルへ向かいました。1元。

20分程度でバスターミナルの向かいで下車。すると直ぐそこに《三都》とのプレートを掲げた小型のバスが停まっていました。バスターミナル
の場外です。三都へ行くか、と訊ねると、行くとの返事。また運賃は25元とのこと。前回の記録を見ると30元ですからこちらの方が安い!

私が乗り込むとバスは直ぐに発車しました。8:50頃でした。
少し走って前回と違うルートに入っているのに気が付きました。

バスに乗る時にしっかりと見なかったのですが途中の休憩点で行き先・経由地を見てみると、《王司・陽和・豊楽》となっています。
3月の時は《丹寨》を経由した筈です。

後ほど再度チェックしてみて気が付きました。三都=都匀のバスの時刻表をよく見ると最下段の方に数は少ないものの《王司》経由の便が表示
されています。いずれにせよ2ルートあることが判りました。

道路の状況は丹寨ルートと比較すると今回の王司ルートの方が少し悪いといえます。
とはいうものの、三都到着はほぼ12:00でしたから所要時間は丹寨ルートよりは少しかかるものの大差はありません。運賃の差を考慮すると
王司ルートも捨てがたいと思えます。
さて、取り敢えずホテル探しです。
前回で一応3、4軒候補を絞っていました。
その内の『三都黄金大酒店』という大層な名前のホテルに入って
行き値段を訊くと100元とのこと。
フロントには2星のプレートも架かっています。
部屋を見せて貰って何とか大丈夫そうなのでここに決めました。
さて、この後どうするか、です。

半日で行ける所をパンフレットを基に検討した結果、『巴茅水族旅游村』にしました。三都から6kmと書かれています。
ホテルでバスでの行き方を訊きましたがバスは無く、タクシーでとのことなので道路に出てタクシーを捕まえました。
(実際は人が住んでいる集落があるのですから必ずバスがある筈ですが面倒なのかいつもホテルで訊ねるとタクシーでと言われてしまいます)

行った先での所要時間が判らないので一応1時間として
料金を交渉すると、待ち時間はメーターでとか要領をえま
せん。
そこで、30分にして話を進めると50元というので了解して
車を出して貰いました。

6kmと書いてあるものの山をひとつ越えて10km以上あっ
たように思います。

私の知識の『水族』は、
  1.青い色の衣服を纏っている
  2.独自の文字を持っている
の2点です。


途中で運転手が、『あれが水族だよ』と教えてくれました。
確かに青い色の衣服です

20分近く走って『巴茅水族旅游村』に着きました。

村の入り口には立派なゲートがありました。

ゲートには左右に水族の文字(水書というらしいです)
で何かが書かれています。
期待に胸が高鳴ります。

《三都水族自治県旅游局》のパンフレットから

ゲートをくぐると風雨橋がありました。小さいながらも小奇麗な橋です。

ギリギリですが、中型のトラックもこの橋を渡っていました。

私の乗ってきたタクシーが右に写っています。

集落の中へと進んでいきましたが、特に目に付くものはありませんでした。貧しそうな集落です。

新築の家が建てられていました。高床式のごく一般的な木造住居です。

『巴茅水族旅游村』と名乗りつつも訪問者を迎え入れる態勢は何もありませんでした。
これぞ水族の集落、水族の村と目に付くものはありません。
ただ単に薄汚れた貧しそうな集落だけで特にカメラに収めるようなものはありませんでした。

落胆して20分程度居ただけで直ぐに三都へ戻りました。
ホテルの前でタクシーを降りて目に入ったのはこれです。丁度ホテルの対面でした。

水族の衣服を扱っています。既製もありますが注文にも応じるカスタムテイラーでもあるようです。
未だ時間があるので町を少し歩きました。
直ぐ近くの橋に向かっている道路標識で、『水族博物館 200m』となっています。
時間は未だ3時前です。

どうやら橋を渡った先にあるようです。

ところが誰も居ません。入り口が閉まっています。きょうは日曜日です。一般的に博物館の日曜日は最も来訪者の
多い日でしょうが閉まっています。

入り口付近でうろうろしていると警備員らしきオッサンが居ましたので訊ねると、きょうは休みで明日来いと言われ
ました。
明日は何時から、と訊くと8時とのことでしたので出直すことにしました。

橋の中程まで進みましたが博物館らしき建物は目に入ってきません。
通行人に訊ねると橋の向こう側の袂の建物を指差ししてくれました。

そこを目指しました。

三都の中心部の建物の殆どに《水書》と思えるものが描かれています。

或る資料からの引用ですが、
  〔水文字にはその成り立ちから3種がある〕
     ・ひとつは漢字の上下を逆にしたり、一部を変形したりしたもの
     ・次は象形字であり、魚や鳥などを図形として簡略化したもの
     ・もう一つは漢字の「仮借」に類似するもので、ある字の音を借りて他の意味を表わす(この類はごく少数)

これを参考にご覧ください。

翌日、4月18日(月)に博物館へ再度足を運びました。
8時開館と昨日聞いていたので8時頃に行きましたが前日と同じような様相です。
少し待っていると朝食が入っていると思われる金属製の食べ物入れを手にした職員らしき男がやって来ました。
訊くと8時半の開館とのことで20分余りを散歩して時間を待ちました。
その間に屋台の饅頭屋があったので2個買って食べました。1元でした。

---------------
8時半過ぎに再度トライしました。

漸く開館の準備が整ったようで声を掛けるとオネエサンが出てきて博物館の鍵を開けてくれました。
そして階段を昇って二階に上がると、正面に向かって右に《民族文化展覧(一)》、左に
《民族文化展覧(二)》があり、先ずは鍵を開けて右の(一)へと導いてくれました。
オネエサンがガイドも兼ねていて付っきりで説明してくれますが残念ながら私には言葉が分かりません。
展示の内容は民俗衣装や民具が中心でしたが特に目立ったものはありませんでした。

2011年4月18日(月)

15分足らずで(一)の見学は終わりました。
私が展示室を出るとオネエサンも出て鍵を閉めました。次に(二)を案内してくれるのかと思っていると
これでおしまいとのこと。
入場料は要りませんでした。何となく日曜日が休館の理由も判ったような気がします。
そこで直ぐにホテルへ戻り、次の行き先を検討しました。


ここで改めて『水族』に関する記述を借用しておきます。

水族(スイ族)モバイル版URL : http://rchina.jp/article/447.html ◆人口/人口は40万6902人。

◆地域/主に貴州省三都スイ族自治県に集中して住んでおり、その他は近くの茘波、独山、都匀、榕江、従江などの県および
広西チワン族自治区の融安、南丹、環江、河池などの県に分布している。

◆言語/漢・チベット語系、チワン・トン語派、トン・シュイ語分支に属するスイ語を使用している。
スイ語には、陽安、潘洞、三洞の3種の方言がある。以前は、「スイ書」と呼ばれる1種類の古い文字を使用していた。
これは、約300の文字からなる文字で、宗教や迷信的な活動で使用され、小数の祈祷師だけが読むことができた。
現在、スイ族の人々は日常生活では漢語を使用している。

◆宗教/スイ族の人たちは昔は多くの神と万物に魂があるとする原始宗教を信仰していた。
清代末期にはカトリック教が伝えられたが、信仰する人は少なかった。

◆歴史・文化/「鳳凰の羽根のように美しい」と言われている月亮山のふもとに集中して居住しているスイ族の人たちは、
古代の「駱越」という支系をルーツとする。明代の史書の中にスイ族の称呼が見られる。
スイ族の人たちは自分たちのことを「海水」と称し、「水の中の人」の意味である。
清朝が直接シュイ族地区を統治した後、漢民族の人たちがたえず竜江と都柳江の上流地域に移住してき、シュイ族の
人たちとともに暮らすようになったため、スイ族地区の経済、文化は急速な発展を遂げた。
新中国成立後、スイ族の人たちの生活は大きく改善され、とりわけ文化・教育・医療・衛生事業の発展によってシュイ族地区の
立ち遅れた様相は徹底的に変わり、かつて発病率が80%にも上ったマラリアも抑制された。
1957年に三都スイ族自治県が設立され、国の援助の下で、勤勉なスイ族の人たちは各民族の人たちとともに故郷を都柳江の
ほとりの水産物や米、果物がよくとれる豊かなところに築き上げた。



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水族は貴州省東南部にある三都水族自治県を中心とした地域に居住している.
ここは雲貴高原の東南にあたり、水族は山間のわずかな平地から山頂までを耕し、水稲を主とした農業を営んでいる.

水族はタイ系の少数民族で、現在の人口は約35万人である.タイ系民族は元来が雲南省あたりをその故地としていたと考えられている.
13世紀半ばのモンゴルの大理国征服を契機として、その多くはメコン川、メナム川に沿って東南アジアへと南下したらしい.
13世紀末には現在のタイの地にスコータイ王朝が成立した.
タイ系民族が国家を形成しているのは現在タイとラオスの二国であり、その他のタイ系民族は東南アジア大陸部の諸国と中国における
少数民族となっている.

13世紀以来のタイ系の民族移動は短期間のうちに広範囲にわたって起こったものらしく、タイ系の一つのアホム族はブラフマプトラ川に
沿って西に向かい、現在のインド東北部アッサム地方に至ってアホム王国を建国したこともあった.
水族も古来から現在の地域にいたのではなく、もっと南方から移動してきた可能性がある.
ただし水語は言語学的にはトン語とともに北方タイ語に属し、東南アジアのタイ系民族の言語は、雲南のダイ族を含めてそのほとんどが
南西タイ語に属するので、両者は早い時期から分離していたのであろう.

水族、トン族は地理的に最も北に位置するだけでなく、文化的にも他のタイ系民族とは異なっている.
同じ中国国内のタイ系民族であっても、雲南のダイ族までは上座仏教を受け入れ、東南アジアの文化、つまり広義のインド文明の影響を
受けているのだが、水族は自然信仰である.
また言語や衣装、風俗に独自の文化を保持しているとはいえ、借用語には東南アジアからのものがなく、漢語からの借用語を取り入れて
いる点で、漢族の影響を受けているといえる.

現在の水族は、日常生活において主に水語を話し、漢族との間では漢語を話す二言語併用者である.老人は水語しか話せないものも多い.
解放後に多くの少数民族が、民族固有の言語の表記のため、あるいは漢字を理解するための音標文字として、伝統文字を簡略化したり、
ローマ字を用いることで民族文字を制定しているが、水族についてはそのようなことはなかった.
現在の学校教育は漢語の教科書を用いて行なわれており、民族語による教育や教科書が作られてはいないのである.

一方同じタイ系の民族であるトン族についてはローマ字によるトン語表記が行なわれ、それを用いた教科書も印刷されている.
このように、水族とトン族の置かれている文化的環境はかなり異なっているといえるが、これは1964年時点での水族の総人口が
12万7千人という少数にすぎないことに対し、トン族が1958年には83万人と多かったことによるのかもしれない.  

また、いつごろからかは判らないが、水族が独特の文字を使っていたことも、民族文字をわざわざ制定しなかった原因として考えられない
わけではないが、その事情は明らかではない.

「水書」と呼ばれる水語の文字の存在は知られていたにせよ、それがどのようなものであるかは近年まで明らかでなかった.

李方桂『水話研究』(1977年、台北)は、水語を初めて言語学的に紹介したものであるが、水文字についての記述が序に見える.
氏が貴州茘波(レイハ)県で水語調査を行なった時点では、文字の存在について、占卜に使うためのもので、巫師だけが読める水書
という文字があると聞いただけで、その後南京において実物を見る機会を得た.
序には水書の見本が掲げてあるが、音注も訳文もないので読み方は判らない、とあるが、明らかに漢字と関係のある字形も指摘されている.

水書についての解説には西田龍雄著『アジアの未解読文字』(大修館、1982年)に「水文字暦の解読」の章がある.
これによると、『水話研究』に先だって、1963年には河野六郎教授による水書の紹介があったとのことである.

『水語簡志』(1980年、北京)には、水語の調査による記述のほかに、その文字について記述があり、文字の表も掲げられている.
同書によれば、水文字には百数十字がある.

普通水書(白書)と秘伝水書(黒書)の二類があり、大きな差異はないが、黒書には白書にない文字が含まれている.

水文字にはその成り立ちから3種がある.
ひとつは漢字の上下を逆にしたり、一部を変形したりしたものである.
五行、十干、十二支、数を示す文字など、漢文明に影響された占いに関するものであるから、漢字をもとに作られたのも当然といえよう.

次は象形字であり、魚や鳥などを図形として簡略化したものである.

もう一つは漢字の「仮借」に類似するもので、ある字の音を借りて他の意味を表わすが、この類はごく少数に留まるようである.
以上の『水語簡志』の記述から見て、水文字の全てが表音(あるいは表語)文字であり、上述のように百数十字しかないこと、
また占いという特別な目的のために、水書先生という専門家が用いることからも、この文字の使用、理解と行った流通範囲は
ごく狭いものであったと考えられる.

現在水書をきちんと読める人はごく少数である.
『水書』(王品魁訳注、1994年、貴陽)を見ても、字(語)と音がきちんと一対一に対応するものではなく、
意訳により補われた部分が多いように思われる.

『巴茅水族旅游村』も『水族博物館』も不本意な結果に終わりました。
次の行き先を検討して、三都からあまり遠くない《怎雷水族文化村》に決めました。
地図で調べると三都から東方向の『都江』にあるらしいので3月訪問時に撮っていたバス站の行き先別発車時刻表をPCに呼び出すと《都江》
行きのバスは頻発のようです。
そこで先ず《都江》を目指すことにしました。

《三都水族自治県旅游局》のパンフレットから

バス站へ行き窓口で都江への切符を買い求めようとしましたが、都江行きはバスターミナル
からの出発ではなく、バス站向かいの道路端から出ていて切符はバスの車内で買ってくれといわれました。

09:30教えられた所へ行くと『坝街』という行き先プレートを掲げた赤いバスがありました。後ろへ廻ると《三都・打魚・都江・坝街
と通過点を示しています。これに間違いありません。乗り込んで車掌から切符を買おうとすると現金で10元、切符はありません。
暫くすると後ろのバスに乗り換えてくれとのことで乗ったバスを降りて今度は白いバスに乗り換えさせられました。車掌も一緒ですから
お金の心配は要りませんが理由は不明です。今度のバスのフロントグラスには《三都・打魚・都江・
坝街
と書かれていました。また、車体には《黔南交運》との表示がありました。
尚、《黔》は古くは現在の貴州省の辺りの古名で、今では貴州省の略称となっています。
この地域は貴州省の南部ですから、《黔南》なのでしょう。


09:55にバスは殆ど満席で発車しました。多分、乗客が少なかったので2本を1本に集約したのでしょう。
バスは山の中へと進んでいきましたが無舗装の細い酷い曲りくねった山道です。
貴州省は経済的には中国で最も発展が遅れた地域で、一人当りGDPは全国最下位といわれていますが、
それを実感しながら11:35に都江だと云われてバスを降りました。

【化】アンチモン.
元素:Sb .
Antimony...

赤いサークルで囲ったのは
鉱物の産出を示しています、

バス站があると期待していましたが道際です。直進と左手へ登る道の三叉路の手前でした。
一緒に降りた乗客の内の数人はミニワゴンに乗って何処かへ行きました。私は読み方が判らないので《怎雷水族文化村》と紙に書いてドライバー
に示しましたが首を振られるばかりです。客待ちをしているバイクタクシーに示しても断られました。

『三都水族自治県』のパンフレットによると、《怎雷水族文化村》は三都から東方向41kmに所在する《都江》に在ると書かれています。またその中
の地図の距離を見ると三都(三合)・《拉攬》間が12km、《拉攬》《打魚》間が9km、《打魚》《都江》間が14kmとなっていますから合計が35km。
そして《都江》から《文化村》は3kmと書かれていますから総合計で38kmです。これらの情報から都江からはせいぜい3、4kmだと思われます。
気を取り直して再度ミニワゴンと交渉しました。答えは片道で150元、往復では250元と滅茶苦茶な返事が返ってきました。
怪訝な顔をしていると、道が状況が非常に悪いのでそれ位貰わないと、とのこと。
結局諦めました。理由は昨日の『巴茅水族旅游村』訪問が落胆する結果に終わり、今回も大金(?)を支払って行っても同じ結果になるのではない
かと考えたからです。

そこで次の行き先を考えて『榕江』へ行くことにしました。

改めて行き先を変えてミニワゴンと交渉しました。
途中の『シンファ』までなら20元で行くという運転手が現れて取り敢えず『シンファ』まで行くことにしました。
『シンファ』を『新華』と思っていたのですが後程地図を調べると『新華』ではなく『興華』でした。

12:00にミニワゴンは都江を出発し13:00に興華に到着しました。
道は三都から都江の道よりも若干いいものの無舗装の狭い曲りくねった
道でした。
ただ、ドライバーはかわいいオネエサンでした。
訊ねると、彼女も水族とのこと。気に入ったのでこのまま榕江まで走ると
幾らだと訊くと、暫く考えて、紙に書いて寄こしてくれました。
なんと300元、諦めました。

結局水族のオネエサンの運転するミニワゴンを降り、そこに停まっていた別のミニワゴンに乗り換えて『榕江』へ行くことになりました。
乗り合いで、13:20スタートして『榕江』のバスターミナルには15:05到着で20元でした。
道路の状況はここまでと比較にならない程よく、殆どが改修された舗装道でした。
都江から興華が1時間で、興華から榕江は1時間45分、共に20元ですが、後から地図で見ると区間距離は全く違います。
如何に道路コンディションの違いが所要時間に如実に出ています。

(後程、友人に解読して貰いました。《太遠了、路又爛》で、遠いうえに道が
悪いので300元のことでした)

太遠=非常に遠い
(簡体字)=爛=乱れている・荒い

【爛漫】 1 花が咲き乱れているさま。「桜が―と咲き誇る」「春―」
     2 光り輝くさま。明らかにあらわれるさま。「―たる日の光」「天真―」

となるといい方の意味になりますが、一文字だと悪い意味が強いのですね。

きょうの泊まりを何処にするか・・・
昨年の8月に『榕江』を訪問して宿泊しましたが数件のホテルで外国人
はダメと云われて困った経験があります。
ですから榕江を避けて次の行き先も考えて一気に『从(従)江』まで行く
ことにしました。

15:30発のバスの切符が買えました。25元、所要時間は2時間半程
度とのこと。距離は76km。
バスが榕江のバスターミナルを発車する時に何げなく窓の外を眺めていると他方面行きのバスが目に入りました。
その中に、『丹寨』行きというバスを見つけました。丹寨というと先月の3月に都匀から三都へ行った時に経由した苗族の町で面白そうだから機会が
あれば滞在したいとマークしておいた所です。丹寨への入り方として榕江が使えるなと思い、記録の為にカメラに収めました。
『从江(従江)』には18:10に到着しました。昨年8月時点と同じバスターミナルです。
ところがバスターミナルのドアは閉ざされています。ということはこのターミナルはもはや使用されていないのでしょう。
さほど大きくない町ですが手狭になり別の場所に移転したのでしょう。

前回のときにこのバス站の前に数軒のホテルがあるのを記憶しています。
その記憶を頼りにバス站の正面に廻ると矢張りありましたので目に付いたその内の一軒に入りました。
『現代商務酒店』というホテルでフロントで値段を訊くと50元とのこと。ネットも通じるといいます。
安くていいのですが泊り心地が悪いと困るので部屋を見せて貰って納得がいったのでチェックインしました。
夕食に外へ出ました。
ホテルの数軒先に小奇麗な店がありましたので入りました。
そこで楊州炒飯を頂きました。勿論、ビールも。炒飯10元+ビール7元、計17元。

私は中国ではよく炒飯を食べます。その理由は注文が容易なことと当たり外れの外れの恐れが少ないことに由ります。
炒飯の種類が多い場合は大抵楊州炒飯にします。

楊州(Yangzhou)は、江南地方の風光明媚な江蘇省の都市。
【楊州炒飯】
  本来の炒飯とは具が卵とネギだけの(貧困層の)素朴な食べものだったが、楊州炒飯は海鮮や野菜、チャーシュなどを豊富に盛り込んだ炒飯であり、
  ちょっとしたご馳走になった。日本で五目チャーハンと称されるものの源流である。楊州には楊州炒飯を看板に掲げる店も多い。

ホテルの部屋に、『旅游服務指南』というカードが置かれていました。
主要観光スポットへの行き方です。なかなか親切です。

1.沙 従江県の中心から7.5Km、原始のミャオ族の生活を送る村です。
       2010年8月踏破済み http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub410.htm

2.高増 従江県の中心から約8Kmにあるトン族の多く住む地域です。【未踏破】

3.小黄 侗族大歌起源で侗歌之乡として有名です。
       2010年9月踏破済み http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub420.htm

4.肇興 最大のトン族村です。肇興には5つもの鼓楼があることで有名です。
       2010年8月踏破済み http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub403.htm

さて、明日は何処へ・・・

昨年の8月に『肇興』へ行って来て《侗寨》を堪能した記憶は鮮明に残って
います。
でも肇興の周りでその際に行かなかった箇所があるのでそこを攻略するこ
とにしました。

『旅游服務指南』というカードにはバスの時刻が07:00と13:00と書かれ
ています。
早いバスに乗ることにしてフロントのオバサンに時刻の再確認すると共に
バスターミナルの場所を訊きました。
バスは07:00で、バス站は向いだというのです。ということは移転していな
いのです。

確かHPに従江のバスの発車時刻表を掲載した筈なので自身のHPにアクセ
スしてそれを見てみると意外にも最終のバスは18:00の榕江行きでそれ
以降は何処行きもありません。
きょう私の乗ったバスの到着は18:10でしたから最終バスが出発した後だっ
たのでターミナルを閉じたのでした。

ですから《移転》したと思ったのは早合点でした。

これにて今回の『三都』と『水族』はおしまいです。

大いに期待外れに終わったのですが、それは水族が漢化されて
しまっていて、もはや純朴な姿は残っていないからなのではない
かと思います。

この『牡丹』の花は何処から
の拝借かは、
  2.堂安侗族生態博物館
へ進んでいくと判ります。