2011年4月20日(水)
2011年4月21日(木)
2011年4月22日(金)

《3.広西省の平等侗寨と桂林から広州》  

当初の計画より2日ほど早く予定を消化しています。
その理由は、水族の村で宿泊しなかったことと昨日の堂安でも泊まらなかったことによります。

昨晩にきょうは江西の三江へ行くことにしました。

バスの時間が判らないので7時頃にはバスの発着場所に行くことにしようと思い朝は5時頃に起き出しました。

支度を整えている途中でふとテラスへ出てみると鼓楼前の広場の奥の一角に煌々と灯が灯っていて数人男が何やら作業をしているのが
見えました。男の足下には大きな黒い物体が見えます。直感的に『牛の屠殺』だと思いました。
じっと観察していると、牛はまだ足をバタバタと動かしています。それを男達は力を込めて押さえています。どうやら『一撃』を
加えた直後だったようです。その内に足は動かなくなりました。(6時16分撮影)

2011年4月20日(水)

その内に刀のような包丁で皮を削ぎ始めました。
近くで一部始終をカメラに収めようと階下へ降りましたがドアは施錠されていて開きません。
近くへ行くことを諦めて元の3階のベランダへ戻り、そこから《作業》を見ることにしました。

その内に辺りも明るくなり始めました。作業はものの30分程度で完了した模様です。

7時半前に階下へ降りて行くと誰もいないので声を出して人を呼んでチェックアウトをしました。
真っ先に牛の屠殺と解体の現場を見に行きました。
(7時29分撮影)
見事に解体されていました。血が付いていますが白い物は皮です。

7時半過ぎにバスの発着地点へ行き、訊ねると《三江》行きは9時とのこと。
《肇興》にはバス站はありません。小さめの広場の辺りがバスの発着地点になっています。バス站がありませんから当然のことながら発着
時刻表もありません。土地の人に訊ねるしか方法がないのですが、これものんびりとしていていいかも知れません。


時間があるので朝食と思い、屋台の蒸したもち米《おこわ》と焼肉を買いました。
これが結構いけるのです。
頼むとおこわの間に炭火で焼いた豚肉を挟んでくれました。3元というので支払いました。

広場は『市』の場所でもあります。肉や野菜や果物を売る個人の出店が多く出ています。
時間があるものの行く所もないので、それを観察してバスを待つことにしました。

  会社勤めをしていたとき、会社の部下の女の子が休暇を取ってひとりでシンガポールへ遊びに行きました。
  戻ってきてから、『どことどこを見たの?』と訊ねると、『何処へも行かなかった』と言うのです。
  『じゃあ何してたの?』というと『オーチャードロードのカフェに座って道行く人を見てたの、面白かった』と言います。
  少し変わったところのある娘でしたがその娘を思い出しながら人間観察をしつつバスを待ちました。


他の方面へ行くバスは2、3台来ましたが三江行きは9時を15分過ぎても来ません。
《おこわ》のオバサンに、三江行きのバスは?と訊くと、来るから待ってなさい、との言葉が返ってきましたが待つ以外に術はありません。
そしてようやく09:50に緑色のバスが来ました。
バスは昨日歩いた道を上って行きます。《堂安》集落への登り口の看板が確認できました。ここでは乗客の一人が降り、
昨日私が登った急な細い道へ入っていきました。

更に少し進むと峠にさしかかり、遠回りにはなりますがここからは《堂安》への車道が分岐していました。

10:20頃にやっと座席を確保しました。

11時過ぎに名高い風雨橋のある《地坪》にさしかかりました。ここで途中で何とか座席を確保したアベックが降りました。
橋の撮影に行くのに違いありません。

満員のようです。2、3人が降りて4、5人が新たに乗り込みました。
私は一番に車内へ入りましたが、それでも席がなく木製の補助椅
子を確保して通路に何とか座れました。撮影旅行らしいアベックは
補助椅子さえも確保できずに揺れるバスの中で立ちっぱなしです。

オバサン車掌が人と荷物を跨ぎながら来ました。《三江》というと
《40元》といわれ現金を渡しました。20~30元と思っていました
ので高いのに驚きました。

(後程、自分のHPにアクセスしてみると昨年8月の時の運賃は
 逆方向の三江→肇興ですが32元でした。因みにバスのナン
 バープレートを見ると同じバスでした。今回は車掌から切符も
 貰えませんでしたからぼられたのですね。)


さらにバスは走り続けましたが、異常な走行音と匂いに気が付いたと途端にバスは停車しました。パンクに違いありません。
11:15でした。

乗客のひとりが手伝ってタイヤの交換作業が始まりました。
そしてその作業も終了し12:10に三江へ再スタートし、三江の河西站に13:40に到着しました。
橋の西に在る『汽車站』が河西汽車客運站です。

《三江市街地図》

きょうは三江で泊ることにしました。

明日は龍勝方面へ移動することにしましたので、バスの発着が河東站
なので橋を渡って河東地区でホテルを探すことにしました。
もう大まかに三江は判っているので適当にネットの通じそうなホテルを
探して部屋を見せてもらってからチェックインしました。

『宝福賓館』で80元でした。ネットは有線で通じましたが、スピードの遅
さに閉口しました。昨日の肇興の宿の無線の方がはるかに速かった。

2011年4月21日(木)

きょうは、以前この地区を通過した時に気が付き、その後気に掛かっている『平等』という所へ行くことにしました。

『三江』から『龙胜(龍勝)』へのバスは途中幾つかの集落を通過します。中間地点より少し先に『瓢里』という比較的大きな町があり、そこから
分れている道が『平等』へ至っています。調べたところによると、三江から平等への直通バスはないので瓢里でバスを乗り継げばいける筈で、
どうしようかとかなり迷ったのですが瓢里で乗り継げなかった場合も考慮し、時間とお金の無駄になるかも知れませんが一旦『龙胜(龍勝)』
まで行って少し戻ることになりますが『平等』へ向う方が安全策を取ることにしました。

三江から龙胜(龍勝)へのバスは7時が始発で、その後はほゞ30分毎にあります。
(河東站の時刻表ですが07:00以降空白があって次が09:50になっています。
これは何かの間違いか、書換中だろうと思われますが、万一ということもあるので
07:00に乗ることにしました。)

07:00発に間に合うようにホテルを早くチェックアウトして06:30には河東站に着
きました。
切符は容易に買えました。18元でした。

龙胜(龍勝)までは66kmとのこと。

《自転車も積み込まれます》

丁度8時に《瓢里》に到着しました。乗客の乗降が済み発車して暫く進むと道路標識が目に入りました。
<左>平等39km、<直進>龙胜22km
です。

そして08:30には龙胜のバス站に到着しました。三江・龙胜は幹線でほゞ改修が済んでいますから66kmを1時間半で走ったことになります。

龙胜のバスターミナルで平等への切符を買いました。09:35発で14元でした。
時間が十分にあるのでバス站内の時刻表などをカメラに収めました。

いまでこそ龙胜=龍勝が判っていますが簡体字の中でも旧字と大きくかけ離れ
ている例のひとつが龙胜だと思います。
バス站内で<龍勝>という表記の広告を見つけました。龍勝では旧字体を見る
ことはなく、龙胜という簡体字の表示だけでこの広告がほゞ唯一の例外と言って
も過言でないでしょう。

《龍勝のバスの発車時刻表です》(最上段を分割して下に掲載しましたから読むことは可能だと思います)

龍勝地区の地図ですが、掲示されていた場所が悪く、どうしても明瞭なものが撮れませんでした。

『熬(ao)』というのは難しい文字です。私は知りませんでした。
調べてみると、
  ==========
  いる 【煎る/炒る/熬る】
  なべなどに入れて火であぶる。また、水分がなくなるまで煮つめる。
  ----------
  火にかけて、水気がなくなるまで煮つめる。また、鍋などに入れて火
  であぶる。
  「豆を―・る」
  「煎」は火で熱し焦がす、「炒」は鍋などで熱し焦がす、油でいためる、
  「熬」は焦がす、煮つめる意とするが、明確には使い分けにくい。
  ==========

《平等》が終点だと思っていましたが、《平等》から先、《平熬》《太平》《蒙洞》等々かなり多くの集落へバスが通っているようです。

買ったバスの行き先は表示によると《平熬》となっていました。
一部分が破れていますが車内の運賃表も撮りました。

バスはほゞ満席で09:35の定刻にバス站を出発しました。
バスターミナルの出ると直ぐの商店の前で停車しました。買い物をしている仲間を待っているようです。
しばらくすると大きな荷物を抱えたオバサンが店内から出てきてバスに乗ってきました。
この行き先の奥地の人々にとってはたまに町へ出てきて必要な品物を買うというのは重要なことなのでしょう。

こういうことがあって実質の発車は09:50でした。


10:30過ぎに《瓢里》に近付いたと思ったら部落の手前で右折して山の中へとバスは入っていきました。
もし、三江からのバスを瓢里で降りていると平等方面へ行くバスを探しあてるのは容易ではなかったと思われますから龍勝まで行った
のは正解だったと思います。

瓢里の手前で平等方面への道に入りましたが、無舗装の細い道でかなり揺れました。更には山の中へ入って行くので谷も深く平地が
殆どありません。この先に大きな侗寨があるとはとても思えません。

12時半頃に比較的平地の多い地区に入りました。
多くの古い建物がみえます。でも侗寨の特徴である鼓楼や風雨橋は
見えません。

そのうちにそれらが一つ、二つと現れました。そろそろ平等に近付い
たようです。
そして12:55に『龍勝各族自治県・平等郷客運站』に到着しました。
バス站といっても待合室があるだけで他には何もありません。待合
室の中へ入りましたが切符売り場も無く、発車時刻表もありません。

バス站の直ぐ横に僅か3層屋根の鼓楼風建物があり、ご多分にもれずに老人の溜り場になっていました。
それでもこの建物には大げさなプレートがついていました。
『平等鼓楼群・呉氏鼓楼』と記されています。
更には石碑もあり、『平等鼓楼群』『簡介』が読み取れました。

集落内を少し歩きましたが、他の鼓楼は目に入ってきません。
どうやら鼓楼が数基あるようですが、一箇所に集中しているのでなく、かなりの広範囲にポツリポツリと分布している模様です。
そうなるとバスで来ている私にとってはお手上げです。

場合によれば平等で泊ってもいいなと思って荷物を持って来たのですが、2、3軒の宿泊施設があったものの季節外れのせいか営業を
していませんでした。

わざわざ来たもののこうなれば引き払うのが得策です。バス站に停まっていたバス、これは《蒙洞》から来たようですが、で龍勝へ戻る
ことにしました。13:20出発で龍勝へ着いたのは16:00でした。

結局のところ、平等は何とも特色の無い寂れた田舎の集落でした。

戻りのバスの若いオネエサン車掌がかなり美人で目の保養になったのがせめてもの慰めです。
(若いオニイサン運転手といちゃいちゃしていたのが気に入りませんでしたが・・・)

平等からの帰り、15分程度走った所の車窓からのショットです。

さて、龍勝へ戻ってどうするか・・・

龍勝へ戻ってくると直ぐに桂林へのバスの呼び込みがありました。

桂林へ行けば行き先は色々考えられるので兎に角、そのバスに乗り込みました。
22元で桂林まで2時間とのこと。
バスは16:05に発車しました。

何度となく通ったことのある道です。
18:10に桂林に到着しました。
とはいうものの、何度か使った鉄道駅近くのバスターミナルではなく別のターミナル
でした。
多少困りましたが3輪バイタクで鉄道站へ移動しました。

実はバスの中で色々考えていたのです。
広州への戻りの夜行列車は4月24日の21:20発
きょうは4月21日
桂林到着が18:00過ぎ
行動案:今夜の夜行で広州へ戻る
切符が取れない場合は、桂林又はその近くを廻って当初通りの24日の列車に乗る。
川下りをしたのは10年以上も前のことだから川下りにも興味がありました。
桂林の鉄道駅へ午後6時半過ぎに着いて直ぐに切符売り場に並びました。
電光掲示板の案内を見ると、21:20の列車は軟臥・硬臥とも残が無し、但
し硬座は十分に余席がある模様です。

かなりの長い列で30分程度並んで私の番になって、ダメモトで寝台をいう
と最上段だが硬臥があるとのことで直ぐに買い求めました。201元でした。

24日の軟臥は385元で買っていますので站の払い戻しの規定をみると率
は判りませんが2日前までなら払い戻しが可能とのこと。
きょうが21日で広州到着は明日の22日だから大丈夫の筈。
直ぐに払い戻し=退票といいます、の窓口へ行ったのですが長蛇の列で
桂林での払い戻しはあきらめました。
硬臥ながら寝台を確保できたので次は食事です。
最近利用している火車站と汽車站のほゞ中間にある
『天朗朗』という小奇麗な小吃店へ行き、定番になっ
た水餃子+ビールで時間を潰しました。

新たに購入した切符が201元、払い戻しをする予定の切符は383元ですから
仮に払い戻し率が60%とすると230元、70%とすると268元戻ってきます。

楽勝です。

---------------
缶ビールを2本とつまみにピーナッツを買って改札を待ちました。
いよいよ乗車です。

この『牡丹』は、
 2.堂安侗族生態博物館
の堂安の風雨橋の装飾画
です。

トップページへはこちらを・・・

4.今回の日程と経費、及び        今回のビール
   へ進む
      (クリック)

トップ アイコン

2011年4月22日(金)

左右の端の女の子はシンセンの学生とのことでした。

いよいよ乗車です。

站次 站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
1 桂林 21:20 21:20 0
2 全州 23:07 23:11 1小时47分 123
3 东安 23:58 0:02 26小时38分 187
4 永州 0:46 0:50 3小时26分 221
5 衡阳 2:55 3:06 5小时35分 362
6 韶关东 6:18 6:24 8小时58分 662
7 广州 8:37 8:45 11小时17分 883
8 深圳 10:35 10:35 13小时15分 1030

车次K951

硬臥の最上段は少し厳しいものがありました。
中国の硬臥の車両は3段ベッドですが、高さが下段>中段>上段で、上段の場合は座るのに
かなり苦労します。天井に頭が閊えるのです。必然的に斜めにならざるをえないのですが、その
姿勢で缶ビールを飲むのは大いに困難が伴います。
何とか2本を飲んで横になりました。

乗った列車は翌朝ほゞ定刻に広州站に到着しました。

直ぐに広州の站で切符の払い戻しを受けることにしました。
順番が来て払い戻しを依頼すると、広州站ではできないので購入した東莞站か桂林站へ
行くようにとのことでした。

早速東莞站へ行き、払い戻しを受けましたが戻ってきたお金は306元で80%戻ってきた
ことになります。十分に満足です。
しかし、東莞站で並んでいる時に変なオッサンが寄ってきて200元で買い取ってあげると
言ってきました。
中国の場合は怪しげなのを相手にすると偽札を掴まされる恐れが十分にあると聞いていま
したので多少時間は掛かりましたが窓口で順番が来るのを待ちました。

1.306元(80%)も戻ってきた
2.偽札を掴まされなかった
この2点で並んで待ったのが正解でした。

今後も気を付けなければと思いました。