2011年5月14日(土)・15日(日)

《2.天柱から錦屏を経て肇興へ、そして紀堂侗寨を目指す》  

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3.肇興から従江、その後
     三江・桂林を経て広州へ
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2011年5月14日(土)

『高野聖』 あらすじ

高野山の僧一人、飛騨から信州に入る深山の分かれ道に来た。途中で追い越していった薬売りに続き、危険な近道の方を進んだ。
暑さの中、蛇に悩まされ、日が暮れると山蛭(やまひる)に襲われながらやっと森を抜けた。疲れが頂点に達したところで、前方に馬の
いななく声がして、一軒の家があるのに気付いた。縁側の男に声をかけるが反応がない。すると奥から絶世の美人が現れた。一夜の
宿を頼む。
一度は断られたが、他に泊る場所もないだろうと、結局承知してくれた。家にはもう一人中年の男がおり、三人で暮らしている様子。

女は汗をかいた僧を崖下の川に案内する。言われるままについていく。草むらから飛び出した蛙が女の足に噛み付いた。すると、まる
で人に話すように叱った。川に着くと月がでていた。女は僧の衣を無理やりはぎ取ると、蛭に噛まれアザとなった肌に水を掛けて優しく
さすってくれる。
女はいつの間にか全裸になっている。僧は疲れも忘れ、幸福な気分にひたる。

帰り道、蝙蝠やら猿が女に飛びついた。女は慌てることなく、ときには怒り気味に動物を諌める。それは、はしゃぐ子を叱る母の感じで、
僧は少々気味悪くなった。家に近付くと、男の一人が馬を馬小屋から引き出す場面に出くわした。男は、「無事に戻れたね」と言う。

馬は女を見ると、脚を踏ん張り動かない。女が襟元をはだけると、馬は素直に歩き出した。

女が「ここに来るまで誰かに会わなかったか」と僧に尋ねた。たった一人、薬売りに会ったと答えると、女は薄笑いを浮かべながら馬を
見た。

その夜、戸外で動物の足音や鳴き声がした。女が「今夜はお客様があるよ」を何度か叫んだ。怖くなった僧は経を唱えた。すると、風の
音とともにたちまち静かになった。

翌朝、僧はその家を後にし、村里に向け山を下った。道すがら、修行を打ち切り、女とそのまま暮らしても良いとさえ思った。昼頃、里近
くで、馬を売った代わりに鯉を手にして戻る途中の中年男に出会った。そして、男から衝撃的な事実を告げられる。女は魔性の女で、
自分の色香に迷った男たちを動物の姿に変えていた。あの蛙も蝙蝠も、夜中家を囲んでいた動物たちも、すべて旅の男たちであった。
馬市で売られた馬は例の薬売りであった、と教えられた。

わざわざ《天柱》に来たものの町に面白そうなものはないし、また調べてみても近郊にもなさそうです。

そこで次の行き先の候補を2ヶ所、『三門塘』と『茅坪』に定めました。共に《錦屏》からの方が近い。
現地の状況が判らないことと今日の泊りを《錦屏》にしてもよいという思いから一気に《錦屏》へ行くことにしました。
錦屏は昨日通過していて、かなり大きな町で泊るには不自由しない筈です。

何故次の行き先の候補を『三門塘』と『茅坪』にしたかというと、手持ちの地図に《民族風情の旅》という緑丸〇がこの2ヶ所に付いていた
からです。

天柱の聯営站には6時過ぎに着きました。まだ営業を始めていませんでした。少し待っていると6時半頃に係員が来て窓口が開き
ましたので《錦屏》と言って切符を求めました。
07:00発で18元でした。

暫くするとバスが入ってきたので乗り込みました。

バスの写真がボケています。これは光量不足だからです。
撮り直そうと改めてカメラを向けるとバスの写真を撮っては
駄目だ、と運転手に言われました。初めてです。

昨日は黎平==錦屏==天柱というルートで入りましたので天柱==錦屏は昨日の逆です。
しかし出発して暫くして様子が違うのに気が付きました。違うルートを辿っています。

結論をいうと、昨日は赤い内陸のルートでしたが乗ったバスは川沿いのルートを辿り、『三門塘』と『茅坪』を経由しました。
道はかなり酷く大揺れの連続でした。
昨日は黎平から天柱まで3時間35分でした。、正確に記録はしていなかったのですが、黎平==錦屏間が2時間余り、錦屏==天柱間が
1時間半程度でした。というルートを走りました。きょうは錦屏==天柱間に結局2時間40分かかったことになります。

途中、『三門塘』と『茅坪』を通ったのですが、車窓から見ている限り興味を引く光景が目に入りません。トン族の集落に特徴的な鼓楼や
風雨橋が目に付きません。そういうことから途中下車をせずに《錦屏》まで入りました。

これで予定が狂いました。
『三門塘』と『茅坪』をスキップしたので一気に『黎平』まで移動する
ことにしました。

《錦屏》でバスを降りましたが《黎平》行きのバスが何処から出て
いるかが判りません。
2人、3人に訊ねてやっと橋を渡った川向こうということを知り、徒
歩で移動しました。

しょぼいバスターミナルが見つかり《黎平》行きの切符を入手しま
した。10:30発で25元。

この《全程油路》(アスファルト舗装路)というのはウソです。

これは昨日と同じルートを走り13:10に見覚えのある《黎平》のバスターミナルに到着しました。
結局、昨日からきょうの《黎平》→《天柱》の移動は全く無為に終わったことになってしまいました。
でもこれが全くの無駄ではなく、《天柱》《三門塘》《茅坪》が何も無いということを知ったのが収穫ですから。
錦屏から黎平は10:30発で13;10着でしたがバスが黎平に到着する前からから次の行程を考えてひと思いに《肇興》へ入っておくことに
決めていました。

錦屏からのバスが到着したバスターミナル内の直ぐ側に《肇興》行きのバスが停まっていたので覗き込むと、『これに乗るかい?』と女車掌
がいうので乗ることにしました。運賃は21元というので支払うとわざわざ切符を窓口へ行って買ってきてくれました。
『発車は?』『2時』ということでした。これなら遅くとも4時過ぎには肇興へ着けるな、と安堵しました。

一気に3つのバスを乗り継いでの肇興です。
バスは定刻に黎平のバス站を発車しましたがバス站周辺で客拾いに手間取り実質的に発車したのは13:00頃でした。


このルートに並行的に高速道路が建設中の影響もあろうかと思いますが、道路の状況が非常に悪くなかなか距離を稼げません。

その上、
荷物として長尺のアルミの建材を既に黎平発段階で積んでおり、それを肇興の手前で下ろすのに15分程度かかったことも
あり、結局《肇興》に到着したのは18:20でした。
距離は70km程度、それに4時間以上も費やしたことになります。
当初車掌に所要時間を訊ねたところ2時間半といわれていたのと大違いです。

さて、ホテルです。

先月、4月には60元で『侗人和諧客桟』へ泊りました。
同じホテルでは芸がないので考えた末、ネットでのある方の情報で『銀河旅館』がいいよ、というのがあったのでそこにすることにしました。
小さな集落ですから場所は容易に判りました。50元というので投宿することにしました。

《肇興》のバスの発着は観光案内所前です。

肇興の宿にしては珍しい洋式トイレ、
気に入りました。

《銀河旅館》の泊まった部屋からの眺めです。

《信団鼓楼》です。

宿代が50元で済みましたので今夜は夕食を贅沢にと思い、鶏を半身13元で買い、野菜不足なので果物のりんごを3個買って宿舎の
部屋で食べました。勿論、ビールも。

この鶏ですが、小さめでしたが、所謂地鶏というもので地面の上を走り回っていたものでしょうか肉は固めで噛むほどに素朴な味が
出てくるものでした。

天柱から錦屏 18元 07:00発 到着 09:40
錦屏から黎平 25元 10:30発     13;10 
黎平から肇興 21元 14:10発     18:20

きょうはバスに乗っている1日でした。

きょうの出費:

バス:天柱から錦屏 18元
バス:錦屏から黎平 25元
バス:黎平から肇興 21元
1.5元
トイレ 0.5元
鶏 半身  13元
りんご 2ヶ 5.5元
ビール 10 (3x2本、4x1本) 10元
銀河旅館  50元
2011年5月15日(日) 
銀河旅館は50元という料金を勘案するとまぁまぁでした。
お湯は水圧も強いし注意しないと熱過ぎる程で満足で、洗濯さえもしました。

きょうの予定は肇興から数キロ離れた所にある『紀堂』というトン寨で、午前中に訪ねて午後には『従江』へ移動して次の行程に繋げようと
考えました。

朝7時半頃に、ホテルで《従江》への午後のバスを尋ねると12:20発とのこと。
同時に《紀堂》への道と時間を訊きました。方向は思っていた通りで、徒歩で1時間とのこと。地図に3kmとか4kmとの記載がありますから
そんなものなのでしょう。これなら時間的に十分です。楽勝です。ホテルに荷物を預けて07:45に歩き始めました。

直ぐに前回の4月にしたように同じ場所に店を出していた屋台で蒸したもち米のおこわとそれに炭火で焼いた豚肉を挟んで貰って食べなが
ら歩きました。これが結構いけるのです。もち米の単純なおこわがこんなにも美味しい物だと初めて中国で知りました。

かなりの坂道ですを少し登ると展望が開けました。、

従来は黎平方面から肇興の集落に入るのに道路を真直ぐに進みゲートをくぐって入ったのですが、昨日気が付いたのですが新しい道(?)
が出来ていて迂回させられて入るようになっていました。それを一望できました。昨年の時点であった意味不明の風雨橋は場所もその
ままで中途半端な道路が付いているのも変わっていませんが、想像ですが、その辺りにゲートが出来て入場料(入村料)を取るのでは
ないか
と思いました。

その地点を過ぎて先へと進みました。
車も通る舗装された道でしたが曲がりくねっていて息が切れてくる程の登りでした。
道を間違えると大変なことになるので途中で5人程に《紀堂》の方向を確認しながら歩き続けました。

観光案内所の筋向いに店が出ます。

(以下時間はデジカメの撮影記録から)
08:23 田んぼの中の畦道を辿ればあと1kmとの標識
         4月に《堂安》を目指したときに苦労したのでパスして車道を歩くことにしました。
08:37 2.3kmの標識
         もう既に3km以上歩いているのにあと2.3kmも。多少挫ける
         標識に従って無舗装の路へと足を踏み入れる(これが大きな間違い)

よくよく見ると看板の下半分に《紀堂》と書かれていて小さな右への矢印があります。
ところが、その下の左を示す木の矢印が大きいことと、文字がよく読み取れない上半分の左の矢印が大きいこと
から錯覚して疑うことをせずに左へ入ったのでした。

この様な酷い泥んこの道を進んでいきました。
前後から車も来ません。また、人にも出会いません。侘しさがつのって来ました。

突然、ずっと昔に読んだ泉鏡花の《高野聖》という小説が浮かんできました。その主人公の僧になった様な気がしてきました。

08:37 標識に従って無舗装の路へと足を踏み入れる(これが大きな間違い)


09:00頃 後ろから来た鍬を担げた農夫に《紀堂?》と訊くとまだ先との答え←これも大きな原因

09:19 ずっと泥濘の登り路、まだ集落が一向に見えてこない
      念のために、杉の木を切り倒している農夫が目に入ったので訊くと反対方向だと言われ愕然となる
      どこで間違えたのだろう?いや、間違えてはいない、でも時間と距離的におかしいから戻ろう

白い手拭で頬被りしている
のが樵、乃至は農夫

つまり、高野聖の僧になった気分で40分以上も歩いていたことになります。

09:30頃 雨が降り出すが生憎雨具は無し。小雨なので濡れながら無舗装の路を戻り続ける。          

少し戻った所で視界が開けて下に集落が見えました。

黄色いサークルで囲った所を拡大すると
トン族の鼓楼が見えました。

10:00頃 舗装道からの分岐へ戻りつく
         もう一度標識を確認すると大きな間違いに気が付く
         《紀堂》は無舗装の脇道ではなく舗装道を右に進むという指示
         とんでもない間違いを犯した
         でもその理由は矢印の大きさにあったのでした。
         メインの《紀堂》方向が小さく、反対側が大きかったので思い込みの大失敗

もう気力も体力も限界。雨も一向に止む気配がありません。10分程度雨宿り休憩をして熟慮の末、肇興へこのまま戻ることにして再出発。

その途中で素晴らしい棚田に出会いました。

特徴は段差の大きいことです。

11:10 肇興の銀河旅館に帰り着く。
      もう一泊して明日に再チャレンジということも考えましたが、5月13日・14日とこの地での梅雨のシーズンに拘わらずに
      雨とも無縁でしたが明日は晴れるという確信が持てないので紀堂は次の機会まで残しておくことにしました。

泉鏡花作『高野聖』の全文を掲げておきますので興味のある方はクリックしてください。←クリック