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2011年6月5日(日)

《2.紀堂寨》 紀堂再挑戦 

《明日は肇興へ行って紀堂を完結させます》書いたのですが全て初期の計画通りに進みました。

前回は
   
http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub487.htm
に書きましたように2011年5月15日(日
でしたから丁度3週間前になります。
この時は道を大きく間違えて辿り着けなかったので今回は《再挑戦》になります。
 
バスは定刻の07:50にバス站をスタートして貫洞・洛香を経由して10:10に肇興に到着しました。
(前回の5月は逆方向でしたが肇興を12時丁度に発車して、従江のバス站に14:20に到着でしたから所要時間は2時間20分
で同じですね。)

直ぐに前回の5月に泊ってまぁまぁだった『銀河旅館』へ行きチェックインをしました。60元と言うので5月に50元だったと言う
と直ぐにOKです。いい加減なものです。

前回は辿り着けなかった『紀堂』へ行くのが今回の目的です。肇興では特段することはないので案内された部屋に荷物
を置くと水と雨対策に折畳傘とアノラックをレジ袋に入れて直ぐに『紀堂』を目指して歩き始めました。
朝、ホテルを7時前にチェックアウトして従江バスターミナルへ行きました。
ホテルから徒歩で2分程度です。

切符を買う前にバスを見に行くと07:50発なのに既に《肇興》行きのバス
は入っていました。
その数台先に何と08:00発の《小黄》行きも入っていました。
前回5月16日はこのバスが運休になって予定の変更を余儀なくさせられた
のでした。

07:50発の《肇興》行きにするか08:00発の《小黄》行きにするか若干
逡巡したのですが、地理的関係から
小黄行きに乗ると紀堂行きは断念せざるを得なくなるので、
  6月5日 従江~肇興~紀堂~肇興 (肇興泊)
  6月6日 肇興~従江//従江~小黄~黄崗 (黄崗泊)
とすることに決めて、07:50発の肇興行きの切符を買いました。
10:40 歩行開始
11:15 (田んぼの畦道を通ると)紀堂へ1kmの標識通過
11:30 前回間違えた《高野聖》標識通過 〔紀堂へ2.5km〕
11:45 紀堂が見え出す
12:00 紀堂ゲート到着

肇興への入り口にあった紀堂への
道標です。
(この、紀堂へ2.5kmはウソです)

暫く坂道を登ると眼下に肇興の集落が見えました。

距離は短くてもこのような急坂はご免です。

前回5月はここで間違えたのでした。
でもおかしいですね、メインの方向の矢印が小さいのですから、
間違えるのもごく自然でしょう。

畦道を辿って行けば急な坂道を登らされたのですね。

遠くに鼓楼も見えます。(下にズームの画像があります。

文字がなんとか読めると思います。

道は登りでしたが殆ど休むことなく時には息を切らしながらでしたが1時間20分掛かっています。
ちなみに戻りは13:00出発で肇興着が14:15でした。従って4kmはある筈です、肇興の外れにある
《紀堂へ2.5km》という標識は嘘です。
また、前回間違えた《高野聖》標識通過 〔紀堂へ2.5km〕を11:30に通過して12:00に到着していますから
これも嘘です。
10:40 スタート
11:15 (田んぼの畦道を通ると)紀堂へ1kmの標識通過
11:30 前回間違えた《高野聖》標識通過 〔紀堂へ2.5km〕
11:45 紀堂が見え出す
12:00 紀堂ゲート到着
さて、3週間(?)掛かってようやく《紀堂侗寨》に到着しました。


紀堂の集落は《上寨》と《下寨》の二つに分けられ(他にもあるかも知れませんが)各々に鼓楼があります。
規模としては中規模ですが形の整った鼓楼です。
紀堂全体の説明によると三基あるとの表記がありますが、私は二基しか確認できませんでした。
また、住民に訊ねてみても二基とのことでした。

ではそれをご覧にいれます。

では、上寨から。

次は下寨です。

もっと重要なことは、各々の解説文章を読んでみて判ったのですが、双方ともにあの《文化大革命》で破壊
されてしまい、現在あるのは再建されたものとのことです。

文化大革命(文革)の解説(抜粋)によると、
◆紅衛兵はとにかく古い物を敵視した。中国各地の博物館や美術館、遺跡には紅衛兵が殺到し、重要な文化財を
次々に破壊していった。
◆仏教寺院やキリスト教の教会は破壊され、凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。
僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。
文革の後半になると、批林批孔運動の名の下に、儒教と孔子も徹底的に攻撃された。
ということが記載されています。

いま考えてみるとタリバンのバーミアン遺跡の破壊と同じで全く無駄な破壊活動だけだったのでしょう。
帰り道に『辛夷(こぶし)』が目に留まりました。

綺麗ではありませんが落ちた花も拾って帰りました。

結論をいうと紀堂は破壊されたものの《再建》ですから《修復》とは全く異なります。
鼓楼は二基あって舞台も鼓楼前の広場にあるものの、鼓楼・舞台・花橋(風雨橋)が侗寨の三点セットなのですが、
紀堂に残念ながら花橋(風雨橋)はありませんでした。

でも、集落自体はこじんまりとしていて建物群にコンクリートやレンガが余り見られないことから侗寨としては
かなりよい方に入ると思います。

新築の家も1階部分に煉瓦やコンクリート
を一切使わずに完璧な木造建築でした。

これを今月の旅のHPの
シンボルとして使っています。

肇興の集落が見えてきました。

そして集落に帰ってきました。14:15でした。

バス(従江→肇興) 19
煙草 16 (4箱)
ビール (2本)
ピーナッツ (2袋)
宿泊(銀河旅館) 50

2011年6月5日(日)の支出