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2011年6月10日(金)

《6.鎮遠古鎮とその後鉄道で凱里へ》 鎮遠~(鉄道)~凱里  

結局ネットは繋がらず、雷山の318元のホテルへの恨みを持って翌朝を迎えました。

ともかく鎮遠へわざわざ来たからには鎮遠の古鎮を探す必要があります。
ホテルを9時前にチェックアウトして荷物を預けて行動を開始しました。

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きょうの泊りをどこにするかという課題もありました。

鎮遠に連泊してゆっくりと古鎮を極めたいという思いが強くありました。しかし同じホテルはネット接続の問題があったので別のホテルを先ず
確保しようと思い、矢張りバス站・火車站に近い所がいいので一寸だけ立派そうなホテルに入っていくと128元とのこと。これでもいいかな、
と思ってネットは可能かと訊くと、きょうは工事の為に繋がらないと言われました。
訊いてみるとこの周辺一角が全て同じで昨日もそうだったとのこと。昨日のホテルでネットが繋がらなかったのもそれが原因でホテルのオバ
サンの情報は断片的だったのです。

それでは128元を出す必要はありません。今やネット繋げていないPCは只の箱です。少ないながらメールのチェックも昨日は出来ていません。
それが2日続くと矢張り支障が出てきます。よし!きょうは鎮遠の古鎮を探訪後に凱里へ移動しようと決めました。

鎮遠から凱里への移動は火車とバスがあります。我ながら感心したのは用意周到にも火車の時刻を事前に調べていたのでした。

候補は2本あります。鎮遠11:11発で凱里着12:52と、12:56発で14:11着です。
このいずれかにしよう、と決めました。
ホテルのオバサンに古鎮の場所と方向を訊いて歩き始めました。
教えられた道を教えられた方向に歩くに従って古鎮の匂い(?)が漂ってきました。

結局昨日は逆方向へ行ったのでした。その大きな理由はバス站内の案内図にあります。全く出鱈目です。それに惑わされたのです。

最初に立寄ったのは『和平村旧址』という所でした。何の予備知識もなく入ったのですが、云わば抗日戦争の歴史記念館という性格の
施設でした。気分が悪いので小さな写真少数で紹介しますが、ここに戦時中に日本兵捕虜収容所があったようで、その中に『転向』した
日本兵がいてそれを氏名もろとも紹介していました。

《覚醒日俘参加反戦》という文字が読み取れると思います。

こういう教育を現在も行われているのが現実の中国なのです。だから反日の活動がいまだに続いているのです。

足早にこの施設をざっと見て更に15分位、ハス站からだと30~40分歩くと写真ででも見たことのある情景が目の前に展開し出しました。
これなんだ、これの為にわざわざ鎮遠へ来たんだ、と自分自身で納得しながら歩を進めました。

では鎮遠をご覧に入れます。
车次 5639 站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
玉屏 09:58
羊坪 10:11 10:13 13分 13
青溪 10:24 10:26 26分 25
蕉溪 10:45 10:47 47分 45
老王洞 10:57 10:59 59分 52
镇远 11:09 11:11 1小时11分 61
水花 11:31 11:33 1小时33分 81
施秉 11:49 11:51 1小时51分 100
黄平 11:59 12:01 2小时1分 107
宝老山 12:11 12:13 2小时13分 116
加劳 12:28 12:30 2小时30分 133
桐木寨 12:38 12:40 2小时40分 139
凯里 12:50 12:52 2小时52分 149
六个鸡 13:12 13:14 3小时14分 171
麻江 13:27 13:29 3小时29分 185
福泉 13:47 14:02 3小时49分 209
贵定 14:32 14:34 4小时34分 248
高坪铺 14:50 14:52 4小时52分 263
龙里 15:15 15:17 5小时17分 286
贵阳 15:43 5小时45分 337
2200年以上の歴史を持つ貴州省鎮遠県は美しい
風景で知られ、街を流れる?陽河は街を西から東へ
とS字型に蛇行しながら貫き、「九山抱一水、一水
分両城(九つの山の間に川があり、川が街を二つ
に分ける)」という独特の太極図のような古城の風景
を醸し出し、「東方のヴェニス」と讃えられている。

鎮遠県では窓を開けるだけで美しい絵巻のような風
景が広がる。

ネット情報から・・・

橋のたもとにホテルがありました。泊まるのにいいなと思いました。

2・3度行ったり戻ったりした橋ですが、何処を見ても
橋の名が書いてありません。
仕方なく直ぐの所にあった商店のオネエサンに訊いて
書いて貰いました。

直ぐ見えている古びた家並みです。面白そうな路地が川と平行に走っていました。

行きはキョロキョロしながらのぶらぶら歩きでしたが一応ざっと見て時計を見ると急いで戻れば11:11の列車に乗れそうです。
急ぎ足で戻りました。
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これは行きに気が付いていて戻る際に撮影したのですが、通りのバス站から古鎮のバス站に近い方に総数10軒程怪し気な店が軒を
連ねていました。《怪し気》というよりも《妖し気》です。さすがに中にオネエサンの見える店は写真撮影を遠慮しましたが、一軒だけ中の
オネエサンが見えています。(遠慮というよりも、写真を撮ったのを気付かれて怖いオニイサンが出てきて身に危険が及ぶ恐れがある
のを回避しただけです)

敢えてこちらの友人に意味を尋ねました。
予想通りに英語にすると、<Never Forget>だそうです。

バス站を背にしています。

左手方向の斜め左奥への道を進むと古城へ辿り着きます。

右手方向にはホテルが見えています。
その中の一軒に泊まりました。

一番端が泊まった《黔龍賓館》です。

首尾よく切符も買えて11:11の列車に乗れました。切符は僅かに7元でした。バス代の33元と大違いです。

この列車は所謂鈍行で各駅停車です。この鈍行列車の旅を十二分に堪能しました。

《鎮遠》には約10分程度遅れて到着しましたが《凱里》到着はほぼ定刻でした。

『施秉』 秉乘乗

この駅名は<SHIBING>です。漢字では《施秉》と書きますが
日本では《秉》の文字は現代では使いませんね。
『乗るの乗』に似た文字はこんなにあります。

《鎮遠》には約10分程度遅れて到着しましたが《凱里》到着はほぼ定刻でした。

列車からホームに降りて写真を撮ってから《出站口》から外へ出て撮った駅舎の写真には
13:00との時刻が写っています。
《凱里》は今までにバスの乗換えで2度立ち寄っているだけです。昨年の8月と昨日です。
ですから土地勘もなければホテルの情報も持っていませんでした。
ただ、昨日のバスの乗り換えには多少時間もあったのでバスターミナルの付近を一寸だけぶらぶらして、ホテルを数軒確認しています。
また、バスターミナル前の公交バスの停留所に行き先を《火車站》と示した《1路》のバスが通っていたのを記憶に留めています。

ということは、火車站から《1路》のバスに乗るとバスターミナルに着けるということになります。
凱里の火車站の駅舎の写真を撮ってから直ぐに公交バスの乗り場から《1路》のバスに乗りました。1元です。
いよいよPCを立ち上げました。すると、すんなりとネットに繋がったではないですか。
昨日鎮遠ではあんなに苦労して2時間程度空費したのに、です。
矢張り鎮遠では広範囲にネット配線の工事中だったのです。複雑怪奇なネット接続設定の所為ではありませんでした。
気が楽になりました、難しいネットの指南書と首っ引きで私のPCの再設定をする必要がなくなったのですから・・・
凱里は霧雨が降ったり止んだりの状況でした。

早速ホテルと思い、バスターミナル近くのロータリー(洗馬河と言うらしい)に面している一寸よさそうなホテルは138元と言われて退散。
バスターミナルの斜め向かいに『金牛大酒店』というのがあって電光の宣伝では【試行期間~】と【70元云々】という文字が流れていました。
不思議なことにはホテルの上の方には『永楽假日酒店』という別の名称もありました。

改築?新築?改装?いずれにせよ新しそうだと思い、中へ進むとフロントがありエアコン無しが70元、エアコン付が80元とのこと。
部屋を見たいというとアルバムを取り出して見せました。ネットも大丈夫とのことでエアコンの不要な気温なので70元の部屋に決めてチェック
インしました。1時半頃のことでした。
部屋へ入って驚いたのは勿論新築でも新装でもないかなり時間の経過しているホテルでした。
でも70元は魅力的で文句はありません。
でもテーブルはあるもののネット用のLANケーブルがありません。よく見るとベッドの枕元にジャックの口があります。そこでオネエサンを呼んで
確認しました。すると長めのケーブルを持ってきてくれました。手持ちのケーブルもあったのですが1m程度の短いものだったので大助かりです。
でも電気のコンセントも同じ場所です。長さが足りません。
そこで工夫してテーブルを窓際に移してぎりぎり伸ばしてベッドの端に枕を利用して椅子代わりとすることにしました。これで大成功です。
きょうは霧雨模様ですから今回の写真をPCに取り込んだりHP用の文章の下書きをしながら過ごそうと決めました。

夕方に食料とビールと煙草を買いに直ぐ近くに見つけた露天街へ出掛けただけでずっと部屋に閉じこもっていました。

《6月10日の経費》

鉄道 鎮遠~凱里
公交バス 中心部へ
バナナ 1.5
ビスケット 2.5
栄養ドリンク
煙草 20 (5個)
ビール (3本)
宿泊 永楽假日酒店 70
鎮遠古鎮は貴州省の東部、省都の貴陽からは350キロに位置し、湖南の鳳凰と隣接する、国家クラスの歴史文化名城である
(貴州省はただ二つで、もう一つは遵義にある)。
鎮遠古鎮は舞陽河の川沿いに立ち、周りは山に囲まれている。
舞陽河はS字型に流れ、古鎮を通り抜ける。
北岸は旧府城、南岸は旧衛城、両城とも明の時代に創建されたもの。
城の内外には古建築、伝統民居、古船渡し場が多く保存されている。
城の東の青龍洞は規模の大きい明、清宗教建築群である。中には、仏教の寺院もあり、道教の道観、儒教の廟宇もある。
川の東側に掛けられている渓橋(後に祝聖橋と改名)は、600年前のもので、古城の北と南をつないでおり、橋の上には、雄大な
魁星閣が建てられている。
また、岸には、天後宮、呉王洞、石屏山、鉄渓等観光名所がある。
紀元前202年、漢高祖がここに県を置いてからいままで2200年以上の歴史を持つ。
歴代でも、ここは県、州、府、道と置かれた。
元代から1949年までの700年間、ここは州、府の所在地であり、黔東等27の県を管轄していた。
五十年代の初期から、ここは黔東南ミョー族自治州の州都となっている。
(現在は凱里)1986年、鎮遠は国務院に中国歴史明城と定められた。
鎮遠古鎮は中国西部と南部交通の要衝で、昔から軍事駐屯の要地である。
鎮遠は水、陸地の交通が通達で、更に、軍事の保障がある為、だんだん巨大な商業港となった。
会館の記載により、清の一番盛んだ時は両岸に民居が3600軒、7000戸、3万5千人に登る。
鎮遠は昔、「大田渓洞」と呼ばれたが、宋紹定九年、紀元1226年、鎮遠州と賜り、今まで使われて来た。

【鎮遠のことをもう少し・・・】

《秉》 画数:8 音読み:ヘイ 訓読み:とる
    ピンイン:bing3
    対応する英語:take, cherish, sheaf, unit of volume

    ひんそく 【秉燭】 「へいしょく(秉燭)」に同じ。
    ひょうそく【秉燭】

    灯火器具。油皿の中央に置いた灯心に火をつけるもの。
    へいしょく 【秉燭】《燭を秉(と)るの意》
      1 手に灯火を持つこと。
      2 火ともしごろ。夕がた。ひんそく。

もう一度市内の地図をご覧に入れます。 が新大橋です。