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2011年7月11日(月)
2011年7月12日(火)

《1.黄崗への途、及び、友との運命的出会い》  

《黄崗》は貴州省の東南部に位置する侗族(トン族)の寨です。
昨年、2010年9月に訪問して強烈な印象が残っていました。
その模様は、
  http://www.meitian.sakura.ne.jp/sub419.htm
にて纏めてあります。

是非再訪したいと思って今年の5月と6月の2度トライしましたがバスが運休でダメでした。

2011年5月16日の記録

     08:00に乗るべくホテルをチェックアウトして斜め向かいのバス站には7時半頃に着いていました。
     窓口で切符を買おうとするとバスの中で、と言われて小黄へのバスの乗り場で待ちました。

     07:50になってもバスは入ってきません。心配になり係員に訊くと、バスは来るから待つようにとのこと。
     ところが、8時になってもバスは入ってきません。
     そこで08:10頃に再度訊くと同じ返事でした。

     とうとう8時半頃まで待って別の窓口で訊くと、もう発車したよ、とのこと。それはおかしい、私は7時半からずっと待っていた、
     というと、きょうの午前の便はなくなり、午後2時のバスしかない、という返事が返ってきました。
     実にいい加減です。

     閑散期で乗客も少ないので間引きしたのでしょう。多くの便があって一部を間引きするなら判りますが、1日に2便しかない
     片方を休止するのは如何なものでしょうか。これなら午後に便も休止の可能性すら考えられます。
2011年6月6日の記録

     《小黄》行きのバスは14:00までないので何もすることなし。

     10:30頃、早いと思いましたが一応切符売り場の窓口で《小黄》行きの切符を買おうとすると、午後2時だけどいいの?
     と窓口のオネエサン。
     OKというと何やらコンピュータの券売機を操作しているもののなかなか切符が出てこない。
     そのうちにどこかへ電話を掛けて、バスがくるかどうか未だ判らないので後程来るようにといわれてしまった。

     一寸雲行きが怪しくなってきました。
     小黄行きは一応08:00と14:00の1日2便となっているものの客が居ないと平気でキャンセルになる仕組みになっている
     のがようやく判ってきました。

     かくもシーズンでない時期の小黄行きは難しいのです。

     12:30頃に再度窓口へ行きました。
     小黄行きを訊ねると、『現在不知道』(分からない: bù zhī dào)との返事。いよいよ怪しい。

     13:30再々度訊くと、『きょうはない、明日朝の8時』といわれました。覚悟はしていたもののガックリです。

そして今回は行き着くことができるのでしょうか・・・

今回の旅の出発点は広東省の東莞市です。

列車が入線してきて乗車です。
東莞站は広深線と呼ばれる広州とシンセンを結ぶ人的
輸送の大動脈のほぼ中間に位置しています。
中国版新幹線の《和諧号》が10分から15分に1本運転
されていて実に便利です。

站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
广州 17:50 0
韶关东 20:02 20:31 2小时12分 221
坪石 21:25 21:38 3小时35分 308
郴州 22:22 22:25 4小时32分 374
衡阳 00:35 00:50 6小时45分 521
祁东 01:55 02:02 8小时5分 584
祁阳 02:34 02:38 8小时44分 619
永州 03:20 03:30 9小时30分 662
东安 04:02 04:04 10小时12分 696
桂林 06:30 06:43 12小时40分 883
柳州 09:20 15小时30分 1059
前回6月3日

  08:40 定刻発車
  10:55 龍勝通過
  11:25 瓢里通過
  11:35 通道への分岐(沙宜)通過
  11:55 三江通過
  14:25 従江到着

今回乗ったK36列車の概要です。6月3日に乗ったのと同じ列車です。

広州站には11時過ぎに到着しました。
早速、戻りの切符を買ってからいつもの通り5元の弁当を買って入場し、10元支払って《候車茶座》へ入りました。

そこで弁当を食べてゆっくりとしました。

そしていよいよ旅の始まりです。

6月は硬座でしたが今回は硬臥(寝台)の下段が取れていました。

7、8人の欧米人が団体で乗り込んできました。ちょっとウルサイなぁと危惧していたら、向かいの下段の寝台にその内の一人
が来ました。最初は気がすすまなかったのですが、話すようになりました。
彼は私が英語を喋ることに驚いていましたが、訊いてみると豪州人でメルボルンの出とのこと。メルボルンなら私にとってはお
手のものです。
彼らのグループは、この列車で行き、明日は桂林の川下り。そして陽朔へ行き、その後は三峡下りをするとのこと。

ツアーガイドの中国人を入れて3人で話が結構盛り上がりました。
驚いたのは、ガイドの中国人は英語が達者ながら海外への留学の経験はなく、全て中国国内ででの勉強とのこと。見習うべき。

2011年7月12日(火)

桂林への到着は定刻の06:30に対して若干の遅れの06:43でした。

乗る予定の《従江》行きのバスの発車が08:40ということを承知していますから余裕です。早速、市バスの91路で《琴潭汽車客運站》へ
向いました。(2元)

91路のバスは10分程度でバスターミナルに到着しました。07:10でした。
早速切符を買いましたが矢張り08:40発でした。十二分に時間があるので、バス站前の屋台で《ちまき》を買って朝食に。1個2元でした。

このバスに関する私のメモです。
今回7月12日

  08:40 定刻発車
  10:55 龍勝通過
  11:20 瓢里通過
  11:40 通道への分岐(沙宜)通過
  12:00 三江通過
  14:15 従江到着

何に拘っているのかというと、小黄行きの14:00のバス(あればの話ですが)に
できれば乗りたかったわけで、桂林出発前に運転手に所要時間を訊くと5時間
(つまり13:40に着ける!)という期待があったからです。

矢張り14:00発の小黄行きのバスには間に合わなかったので、ここ従江で一泊して翌日の08:00か14:00のバスを待とうと思い
バス站の外へ出ると、何と《小黄》行きのバスが道路脇に客を乗せて停まっているではないですか。

これ幸いと何とか座席を見つけて乗り込みました。運転手は居ませんでした。

どうやら予約の客を待っていたようで、暫くすると運転手が戻ってきて、『皆んな乗ったかな』と乗客に声を掛けてから出発しました。
14:25でした。ラッキーです。

14:40頃に鼓楼で名高い《高増》を通過しました。

15:20頃に《小黄》を通過。殆どの乗客はここでバスを降りました。
でも、このバスの行き先札は《小黄》ですが、実際はその先の《黄崗》、更には《双江》まで行きます。

15:27に双江・黄崗方面から来た従江への
バスとすれ違いました。

小黄から少し先のバスに出会った辺りまでは舗装もされており、以前に比べてかなり道路事情もよくなったと実感していたのですが、
それからは無舗装で轍が深く残る酷い道でした。
バスは喘ぎ喘ぎ(この言葉は山道に使われますが、平坦な道でも相応しいと思いました)進みました。

そして、16時前に見覚えのある《黄崗》に到着しました。

《運命的な出会い》

バスを降りて、さぁ、今夜の泊る宿を探さねばと辺りをキョロキョロしていると、『何処から来たの?』と3、4人のグループの
リーダー格のきれいなオネエサンから声を掛けられました。
『桂林』から、その前は『広州』から、更には『日本人』というと、急に英語になり、『泊るところは決まっているの?』、『いや、
今から招待所を探そうと思っている』といいました。
そうすると、『じゃあ、私たちと同じところにしなさい』といいつつ『付いて来なさい』といって先導してくれ、彼らの宿舎(民宿?)
へ行きました。

これが運命的な出会いだったのです。

『栗文清』 女・40歳 北京の大学の先生
『呉文君』 女・20歳 北京の大学生
『劉培』   男・20歳 北京の大学生
『呉任英』 女・20歳 重慶の大学生、黄崗出身で夏休みで帰省中

ここまで判りました。

そしてその後の話で以下のことが判明しました。

栗老師は北京にある《中央民族大学》の先生で《民俗学》が専攻。
《黄崗》の民俗に興味を抱き、それを研究の対象に既に何度も《黄崗》
に足を運んでいる。今回は月末まで滞在の予定。

呉文君さんと劉さんはそこの学生で、栗老師の今回の訪問の助手を
務めることになったようです。更には、呉さんはさほど遠くない村の出
身でこの地の方言が判るので或る時は通訳にも。

呉任英小姐はここ《黄崗》の出身で現在は重慶の大学の学生であるが
夏休みで帰省中。栗老師の以前のここへの訪問調査時に知り合い、
今回は種々世話をしてくれました。

栗老師 (かなりの美形です、40歳既婚で2人の子持ち)

呉文君小姐 (表情が魅力的なキュートな小姐、20歳)

劉培さん (長身でなかなかハンサムです、20歳)

呉任英小姐 (黄崗出身で実家に滞在、はにかみ笑いの顔が特に素敵な小柄な20歳の重慶の大学生) 

三人揃って

そして旧暦の6月15日(新暦では7月15日、きょうは7月12日ですから3日後)に大きなお祭りが
あるから是非これを見ていきなさい、という栗先生の強い勧めで数日間滞在することにしたのでした。

(呉の簡体字)

この日は夕食に重慶の大学生である呉小姐(呉小姐が二人なので以降呉小姐〔重慶〕と表記します)の実家に招待されているというので
私を含む四人で出掛けました。 ⇒この食事の内容は別項目にまとめてあります

以降、黄崗を離れる7月16日まで殆ど彼らと行動を共にすることになりました。