2011年7月13日(水)

《3.黄崗でピクニック》  

前日7月12日到着日は夕食に呉任英女姐〔重慶〕の自宅に招かれて北京からの四人でお伺いしてローカル色豊かな
夕食を頂きました。
その後、夜になり夜食にも出掛けてかなり当地の《米酒》を呑みました。

今朝も私がもたもたしていると劉君が呼びにきて、これから呉女姐〔重慶〕のお宅で朝食とのこと。どうやら、ここ黄崗では
食堂が一軒もないので民家で食事をするのが一般的なようです。

ここで頂いたのは簡素な青菜が入ったお粥とゆで卵でした。

午後になり、3時頃に劉君が《魚を食べに行くので付いて来なさい》というので、またまた呉女姐〔重慶〕のお宅へお伺い
しました。

呉女姐〔重慶〕が事前に何やら準備をしていたようで、バスケットを持って3時半頃に呉女姐〔重慶〕の家を出発しました。

直ぐに裏山へ入り、細い相当に急な山道を四人+男の子(甥っ子のようです)が一列になって歩きました。
どこか景色のいい所で持ってきた弁当を皆で食べるのかと思っていましたがどこまでも曲がりくねった、当然舗装のない
細い山道を登っていきます。

呉女姐〔重慶〕は手拭を頭に、栗老師と呉文君小姐は帽子、劉君と私と男の子は帽子なしでした。
晴れた太陽の照りつける暑い日でした。
或る所で呉女姐〔重慶〕が道の脇に生えているシダを利用して最初に男の子用に帽子を器用に作りました。そして私と劉君
にも作ってくれました。さすがに日差しはやわらぎました。

山道はかなり急な登りです。
シダの帽子を被っていても汗が吹き出しました。なかなか目的地に
着いたという言葉は聞けません。まだ行くの、と訊いても、まだ先と
いわれるのみです。

そのうちに、お父さんの居るところまで行くというのが判りました。彼女
は目を凝らしてお父さんの姿を探しています。

山道を歩き始めて1時間位経ってお父さんが見つかった、というので
その方向を目指して更に進みました。

男の子は5歳位に見えましたが、さすがに村の子で、我々より早足で
呉女姐〔重慶〕=叔母さんの後を付いて行きます。たいしたものです。

やっと呉女姐〔重慶〕のお父さんの所へ辿り着きました。
お父さんは焚き火をして娘と我々の到着を待っていてくれました。

そして彼女が運んできたバスケットを受け取ると、中から20cm
〜30cmの鮒に似た魚を取り出して、これも事前に準備していた
であろう山の中から切り出して先端を尖らせていた枝に突き刺し
てもう炭になりかけていた焚き火の回りに突き刺し始めました。

どうやら、炭火の遠赤外線でこんがりと焼くようです。

1時間位で準備が完了。
少し広い所へ場所を移していざスタート。遠火でこんがりとゆっくり焼い魚は美味しそう。

こんがり焼いた魚と、これも彼女が家から魚と共にバスケットに入れて運んできたおこわで野趣に
満ち溢れた食事が始まりました。

仲のよさそうな20歳の二人、羨ましい・・・

劉君もご満悦の様子。(当然でしょう・・・)

簡素ながら野趣に溢れた食事は30分少しですぐに終わってしまいました。

18:20頃、さぁ戻ろうか、という時に極く近くに《楊梅=Yang Mei(やんめい) 日本名はヤマモモ》の木がありました。

我々は下から手の届く範囲で摘んでいたのですが、後片付け
で少し遅れてきた呉女姐〔重慶〕が来てスルスルと木に登り、
腰に結びつけた袋に入れ始めました。

さすがに土地の娘。
まるで山猿のような動きで殆ど摘みきりました。

帰りは下り坂ということもあり、30分程度で19:00過ぎには部落に戻り着きました。

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実は、この夜も宴会があって参加したのですが、それに関しては別途・・・