偶然に知り合った北京からの中央民族大学の三人、というよりも栗先生のお陰で黄崗滞在中は毎日この地の料理を招待されることにより
堪能しました。

  黄崗では食事は変則的です。(時間帯はあくまでも目安です)
     午前6時頃〜8時頃 :    軽い食事 (野良仕事前にお粥等で軽く腹ごしらえ)
     午前11時頃〜正午時頃 : 朝食 (一度家に戻って食事、我々の昼食の時間ですがここでは朝食です、結構まともです)
     午後5時頃〜7時頃 :    夕食 (午後の仕事から戻ってからの正餐=ディナーです)
     午後9時頃〜11時頃 :   夜食 (この地での呼称は判りませんでしたが、大学の三人は私には英語でサパーと表現していました)

     日の出とともに朝の野良仕事に出掛けなければならないし、それには腹ごしらえが必要ながら時間がないので我々からみてこういう
     変則的な食事のサイクルになったのでしょう。

《6.黄崗での食事》  

【7月12日の夕食】 到着した日の夕食に呉女姐〔重慶〕の自宅に招かれました

土間に高さ40〜50cmの低い丸テーブルを出し、その上に丼鉢や皿に食べ物が盛られていました。
その周囲に高さ30cm程度の小さな椅子を部屋の隅から持ってきて自分の場所を確保して食事を摂ります。

私はビールを飲みたかったので、他の人の分も考えよろずやでビールを5本(3.5元X5=17.5元)買って持って行った。

呉女姐〔重慶〕にコップをお願いするとコップはないとのことで丼が出てきた。別の所で経験があるので驚きはしませんでし
た。左上の手前がビールの入っている丼です。

右上の写真には全アイテムが写っています。卵はアヒルの卵です。手前のビールの丼の隣は魚です。その奥に漬物が盛ら
れています。

おこわが結構大盛りになっています。ここでは粳(うるち)米はなく、もち米(糯米)です。最近は、従来もち米(糯米)を主食
としていた山間部の主に少数民族の間にも粳(うるち)米が広がり、もち米(糯米)だけを食べるという地域は減ってきている
との情報もありますが、ここ黄崗では全てがもち米(糯米)でした。

ご飯はもち米=おこわです。炊くのではなく蒸します。
水分が少ないのでザルに盛られています。

牛肉と野菜。

これも牛肉とマメです。

スープで、牛肉がベースです。

【7月12日の夜食】 呉女姐〔重慶〕の自宅で夕食をご馳走になり、しばらくしたら寝ようかと部屋でゆっくりしていたら、行くよ!との声。             

行き先は役場の中の集会所。これから夜食だというので驚きました。
そこでは男が中心に大勢が呉女姐〔重慶〕の自宅でご馳走になった料理に似たものを食べて酒盛りが行われていました。
思いもしなかったのでカメラの持ち合わせがありませんので写真はありませんが、勧められるままにこの地の米酒(清酒
に似ても似つかぬもので、アルコール度も強くて私には白酒でした)
の乾杯・乾杯で酔っ払ってしまいました。

この宴会の趣旨は知らされませんでしたが、村が栗先生一行(含、私)の歓迎宴だったのでしょう。

【7月13日の朝食】 8時頃、またまた呉女姐〔重慶〕の自宅。これは冒頭記した実際の朝食前の軽い食事で青菜の入ったお粥を頂きました。             

【7月13日の夕食】 その後は単独行動で寨内をぶらぶらしました。午後3時過ぎからピクニック。           

この写真は再掲です。

【7月13日の夜食】 常に金魚の糞のように彼らについて行くのも気が引けるし、気疲れもするので夜はビールを買ってきて一人で。           

小用に10時前に階下に降りるとそこでは夜のサパーの最中。強引に参加させられました。

彼らも最初はビールだったのですが(床に空瓶があります)・・・

料理は鶏肉と牛肉のユッケのようなもの。珍しかったのは温かいそうめんのようなもの。でも味は少し違いました。

ビールがなくなると当然ながら米酒になりました。そして、乾杯!乾杯!の連続でした。

これが民宿の主。毎晩酔っ払いで有名な模様。

ここでの乾杯の儀式・形式です。

私は10時半ごろ、宴会の途中で辞したのですが、多分夜中まで続くことでしょう。

栗老師一行は未だ戻っていませんでした。

【7月14日の昼食】 三人に導かれて或るお宅へ。そこでこの地の朝食を頂きました。           

【7月13日の昼食】 当地での朝食にあたるものです。

              この地の大歌の名手、といってもまだ未婚の20歳過ぎの小姐です。三人に付いて行ってお相伴になりました。
              トン族は文字を持たなかったので大歌の歌詞は暗記していたのです。その後、漢字が入ってきているのですが
              方言なのでピン韻のアルファベットを使って彼女はノートにビッシリと書き留めていました。 
            

ここでは料理をするのは男です。コンクリートの土間に直接電熱器を置いて器用に料理をします。

素材の肉は牛肉です。右端の小茶碗はユッケ状の生肉です。

これがユッケ状の生肉です。

赤シャツが調理していた彼、その右が彼の兄で、そして
お嫁さん。乳飲み子に乳首を含ませています。

途中で呉女姐〔重慶〕が参入。

【7月14日の夜食】 またまた金魚の糞です。詳細は判りませんが9時過ぎにあるお宅へ。           

料理は似たり寄ったりでした。赤いプラスティックのコップは米酒用です、悪い予感が・・・

呉女姐〔重慶〕も一緒でした。突然、彼女はここのトン族の歓迎と乾杯の歌を歌いだしました。透き通ったいい声です。

歌い終わるとここのしきたりに従って米酒の乾杯が待っています。

我が北京の呉小姐も乾杯です。

突然、二人の公安が入ってきて多少ドキリとしましたが、勧めに従って彼らも酒盛りの中へ入りました。

こうして宴は延々と続きました。

明日があるので、ということでまだ宴は続いていましたが失礼することにしました。家を出て直ぐに当方のリーダーである栗老師
がぐったりと崩れ落ちて歩けなくなってしまいました。責任感から米酒を飲みすぎたのでしょう。少し休憩して何とか歩いて宿へ
帰り着くことができました。

【7月15日の昼食】 祭りの当日で昼は鼓楼での長卓宴でした。(その項参照)           

【7月15日の夜食】 祭りの当日の夜食です。鼓楼でのトン族大歌を堪能してから、ステージの開演までの間でした。           

ここでも男が料理をしていました。

暫く待って出てきたのがこれ。今夜のメインはアヒルだそうです。

いつの間にか気が付けば呉女姐〔重慶〕も来ていて一緒に円卓を囲みました。

私が買ってきたビールとその奥の大きな容器は米酒です。ビールはここでも丼鉢で頂きました。

栗先生もご満悦の様子。

料理を作っていたここの主人。顔に見覚えがありました。

昼の鼓楼での長卓宴で歌っていたイケメンでした。

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