《江西省の明代・清代の古村落を行く 

2011年12月11日(火)~
  2011年12月17日(土)
トップ アイコン

トップページへはこちらを・・・

今回の行先を地図で確認致しましょう。

右の地図で江西省の中国に於ける位置
を見ましょう。多くの省と接していますが、
福建省の西・広東省の北というのが最も
判り易いと思います。

   中国中部(華中)の内陸部に位置し、
   北は湖北省、安徽省、東は浙江省、
   福建省、南は広東省、西は湖南省
   と接しています。
   省都は南昌市。略称は”贛(ガン)”

下は江西省の全体地図です。今回の
目的地は、江西省の北東部で、地図
には一箇所のみ『理坑の古代建築群』
と記載があります。

下は江西省の観光地図です。
これにも目的地は一箇所のみ『理坑明清代建築群』との記載があります。

今回の主要部分を切り取って拡大してみました。

アプローチ

東莞東站から乗車するのは先月11月のスワトウ行きから連続です。
私の中国での旅の拠点は『広東省東莞市』で、いつもここに居る友人に鉄道の切符や航空券の手配を頼んでいるのです。
今回も『希望通りに取ってあるよ』というので、日本から広州経由で東莞へ入り、そこで頼んでおいた切符を受け取ると
ともに数日滞在した後に《旅》に出たのでした。
站次 站名 达时间 开车时间 时间 里程
1 广州 18:36 0公里
2 广州 18:46 18:56 10分 8公里
3 19:52 19:58 1小16分 94公里
4 惠州 20:38 20:42 2小2分 148公里
5 河源 21:37 21:41 3小1分 228公里
6 22:37 22:45 4小1分 303公里
7 1:48 1:52 7小12分 544公里
8 吉安 4:22 4:24 9小46分 730公里
9 新干 5:26 5:29 10小50分 816公里
10 南昌 7:07 7:25 12小31分 956公里
11 九江 9:23 点站 14小47分 1091公里
取り敢えずの目的地・婺源へは調べたところ景徳鎮からバスで入る
のが最もいいようでしたので列車を検討しました。
東莞から景徳鎮へ1本で行くことが可能なのですが到着が早朝で
早過ぎます。冬至も近く夜明けが遅く夕暮れも早い時期なので
《南昌》で一旦下車して景徳鎮への列車に乗り換えることで計画
しました。
時刻表通りだと、南昌着07:07、乗り継ぎの景徳鎮行きが08:23発
で多少の延着があっても切符を買っての乗り継ぎは大丈夫だろう
考えていました。実際の南昌着は許容範囲内の遅れの07:30頃
でしたが南昌は巨大な立体化になっている站で、到着が下の層、
切符の発売と乗車が上の層と分かれていたので多少まごつきました
が無事に景徳鎮への切符を入手しました。
乗る列車は始発が広州で直ぐに広州東に停車して次に東莞東を経て江西省へ
向かいます。

列車はかなり混んでいました。もう既に通路やデッキにも立っている乗客(無座
の乗客)も多くいて指定の箱に乗り込むのも大変な状況でした。

案の定、やっと辿り着いた私の座席にはオネエサンが平然と座っていました。
私が切符を示して席を空けるようにいうとオネエサンは渋々席を立って譲ってく
れました。(中国では何度となくこの様な場面に出会っています。)

まだ20代前半のオネエサンで胸のかなり大きな娘さんと見受けましたが、無座
で乗っていますので気の毒に翌朝私が降りた南昌まで殆ど立ったままでした。
ただ、私が夜中にトイレに立ったりした時に戻って来ると彼女が私の席で眠りこ
けていました。私は非情にも肩をたたいて起きて貰って席を取り戻したのはいう
までもない事です。
景徳鎮は言わずと知れた陶磁器で日本でも名高い町です。
駅前から町を見渡してみても陶磁器を売る店が目に入る
だけで作陶の町という雰囲気がどこにも感じられません。
気に入ったものがあって買い求めても持って帰るのは難
儀なので付近を少しぶらついただけで前夜が夜行列車で
あっただけにホテルの自室でゆっくりと過ごしました。


よく見ると、景徳鎮站の駅前にあったのはバスの《東站》で、
別に《西站》というのもあるらしく、婺源行きが2本というのは
おかしいから多分西站からも出ているのでしょう。
ホテル『文苑商務酒店』は朝食付で138元を考慮すると可もなく不可もなしというものでした。
ただ、明日は07:30の《婺源》行きのバスの乗る必要があるので、朝食サービスの開始が7時からとのことですのでいくらホテルの
ロケーションが景徳鎮火車站の隣で汽車(=バス)東駅の向かいといっても朝食を食べる余裕はないでしょう。
直ぐにバス站へ向かうと丁度シャッターを開けているときでした。07:30の婺源行きのバスの切符は容易に買えました。
運賃30元に保険料1元で31元でした。切符を係員に見せてバスの乗り場に入ろうとすると、未だだ、そこで待っておけと言われて
入れて貰えません。パン一切れだけでもと考えていましたが、もう朝食は諦めました。

07:30になりやっと改札が始まりバス溜りへ入って婺源行きのバスを探して乗り込みました。
乗客は私を含めて2人だけでした。バスは町中を走って少し郊外にあるバスターミナルらしき建物に近付きました。丁度8時頃でした。
そこは《景徳鎮汽車西站》でした。そこで新たに2、3人の乗客を乗せて再出発で婺源へ向かいました。
婺源のバス站の中でうろうろしていると男が寄って来て観
光か?等と訊くので相手にしないでいるとしつこく近辺の
観光地の地図入りパンフレットを示しながら、清代・明代
の古村落を廻る案内をするという。

勝手に1日100元でと言い、2日は必要で2日間で200元
という。

考えてみると廻る箇所が多く、バスだと乗り継ぎ等が面倒
だし時間も無駄になりそうなのでこの男の申し出にのるこ
とにしました。

気温がかなり低く(多分10度前後と想像します)、このドラ
イバーの話にのることにしたのですが四輪車なのか二輪
車の所謂バイタクなのかが判りません。
でも1日当たり100元というのですから四輪車の可能性は
まずないでしょう。

案の定、バス站の站前広場に停めていた二輪車でした。
この列車は南昌発08:23、景徳鎮着13:06の中距離列車
です。
運行はほぼ定刻通りでした。

景徳鎮へ到着して先ずすることは帰りの切符を確保すること
でした。
南昌への列車への乗車前に東莞東站で買うべく切符発売の
窓口に並んだのですが、『その切符の発売は明日から、明日
出直して来て下さい』という意外な係員の言葉でした。

中国では切符の発売開始日が繁忙期にはよく変わるし、当該
站発と違う切符、例えば戻りの切符でもそこでの発売は遅くな
ります。

詳細は不明です。

戻りの切符を確保しておかないと東莞への戻りがバスの乗り
継ぎとなり2、3日みておかなければならないことになるので、
先ずは切符の発売窓口で並びました。

順番が来て、候補列車を記した紙を見せたところ、4日後の
16日の切符なのに『午後2時の発売だから後で来て欲しい』
とのこと。

わけが判りません。
站を背にして右手の先にバス站が見えました。
そこへ行って《婺源》のバスをチェックすると、1日に2本、07:30と13:30です。何と1日に2本しかないのです。
時間的には13:30に何とか乗れそうでしたが、婺源へ行ってしまうと戻りの鉄道の切符の確保が難しくなるので2時まで待つ
ことにしました。ということは、きょうは景徳鎮で泊まりとなり、明日の07:30のバスで婺源へ向うということになります。

そう決めると今夜のホテルです。站の直ぐ横の一寸小ぎれいな『文苑商務酒店』というホテルへ飛び込むと138元というので
そこに決めました。

一旦ホテルの部屋へ入って暫くして改めて站の切符発売窓口へ行くと、今度は希望通りの切符が入手できました。
調べておいた鷹潭発東莞東行きの切符で146元+別站発行手数料5元でした。未だに中国の鉄道切符の発売期日に関する
規定が不明です。
目的地の明代・清代の村落へのゲートウェイは、『婺源』です。
《婺源》の『婺』という文字が難しい。『務』という文字の右下の
『力』を省いて下に『女』を書きます。
ピンインでは《Wu》です。
ですから、《婺源》は《WuYuan》です。
12月13日 景徳鎮--(バス)--婺源

朝、6時半頃にバス站を覗いてみました。切符を買って、バスが入っていれば
車内に荷物を置いてホテルへ戻って朝食と思ったからでした。
でもバス站は閉まったままでした。暫く待っていたのですが開く気配がないの
で、その計画は頓挫。ホテルに戻ってまとめてある荷物を持って06:45頃に
チェックアウトにフロントに行きました。

中国のホテルのチェックアウトには時間がかかります。その理由はチェックアウ
トを申し出るとフロントの係員は客室服務員の溜り場に連絡して服務員が部屋
へ入り備品やミニバーをチェックしてフロントに報告して精算金があればそれを
差し引いて預かり金の残金を戻すというシステムになっているからです。

私はチェックインの時に138元の室料に対して預け金を含めて200元を支払
っています。タオルや灰皿やその他の備品を失敬していませんし、部屋を毀損
していないし、ミニバーの水さえも飲んでいません(ホテルの部屋の水は高い
ので外で買ってきました)ので時間が掛かりましたが62元を返して貰いチェッ
クアウトがようやく07:00頃に終了しました。

《ムダになった朝食券》

順序が逆になってしまいましたが、江西の明・清代の古村落を巡
る旅に出かけた動機は何だったのでしょうか・・・

時々立寄る東京の虎ノ門にある、『中華人民共和国国家観光局・
東京事務所』で無料で入手した《江西観光ガイド》という小冊子で
見た写真と記事がきっかけでした。

見開きの頁いっぱいに美しい写真が掲載されていて強く印象に残
りました。

景徳鎮・婺源間は高速道路が完備されていて婺源のバス站
には09:10に到着しました。
バス站は最近郊外に新しく完成したらしい大きな建物でした。
辺りには何もありません。

暫くバス站の内部をチェックしました。景徳鎮・婺源のバスは
ほぼ1時間に1本あるようです。
その内の2本が町の中へ入り景徳鎮火車站前の東站まで入
るようです。ほぼ想像通りでしたが、昨日に西站(中心站とも
呼ぶようです)へ行って婺源へ入っていても町の中へ入って
ホテルを探すのに苦労したかも知れないので、景徳鎮のホテ
ルに泊まったのはよかったかも知れません。

《このバイクです。既に私の荷物は後に結わえ付けられています》

ここ迄が長い長いイントロでした。(本編もイントロに負けないようにしなければ・・・)

チャーターしたバイクは走り出しました。
しかし、気温が低くて寒い!持ってきた防寒具のネックウォーマーと耳まで隠れる毛糸の帽子を取り出しました。それを見たドライバーは予備の
手袋を貸してくれました。
4輪のタクシーのチャーターを最後の手段として考慮はしていましたが、バイクで風を切って走ることは想定外でした。


町を抜けて郊外へ出て山の中へと1時間ほど走行してどうやら最初の地、《思渓(SiXi)》に近付いたようです。

左《思渓(SiXi)》、直進《清華(QingHua)》という標識のある
所の橋のたもとでバイクは停まり降ろされました。

驚いたことに標識の記載は、漢字/ピンイン/日本語/ハン
グルの四ヶ国語になっていました。そんなに名高い箇所で
もないのに意外でした。

ドライバーは何処かと連絡を取っているようです。と同時に
《門票(入場料)代》として60元を要求されました。高いなと
思いつつも支払うと暫し待つようにとのことです。

5分程すると乗用車が来て乗るようにと指示されました。荷
物は?というと戻ってくるまで待っているからこのままで大
丈夫といいます。何かの理由からか分担・分業になってい
るようで、《ここからは寒いバイクとオサラバで四輪か》と喜
んだのも束の間のことでした。

乗用車は山の中へ10分ほど入ると《思渓(SiXi)》の入り口で停まりました。ガイドが来るから一寸待つようにと。また、ガイド料は10元とも。

乗用車の運転手が通り掛かった両手に荷物を抱えている単に村民と思えるオネエサン(オバサン?)に声を掛けました。
するとそのオネエサンは荷物を置いて駆け寄ってきました。
どうやら彼女が《ガイド》の様です。(多分、村民のオネエサンは全員がガイドになるのでしょう)

オネエサンのガイドが導いてくれて、
いよいよ《思渓(SiXi)》の観光です。

川には美しい姿の橋が架かっていました。

美しい思渓の村の全景です。

橋には『通済橋』と名が付いていました。

反対側から眺めて驚きました。何と『舳先形橋脚』でした。

これは、2004年に福建省の泉州を訪ねたときに見つけた形式でした。古い私の記事に残しています。
  2004年4月《洛陽橋》 http://www1.parkcity.ne.jp/meitian/sub51.htm
  2004年8月《五里橋》 http://www1.parkcity.ne.jp/meitian/sub58.htm

この『舳先形橋脚』は私の知る限り日本では見たことがありません。中国の独自に進化した形式かと思っています。
とはいうものの、イタリアのフィレンチェで見つけた時は驚いた記憶があります。

『通済橋』の次に案内されたのは『銀庫』という《銀》の貯蔵の為の建物でした。

扉等の木彫に目を見張らされました。実に精緻な木組みや彫り物でした。場所が狭くて全体像を撮影出来ていない
のが残念です。

或る彫り物の一部を接写しました。この動物は何でしょうか?

所々に遊覧順序の標識があり、迷わずに進めました。

『燕尾井戸』の意味をガイドのオネエサンに訊ねた
のですが、言葉がチンプンカンプンでした。

古鎮だけに通路が狭いです。でも間から眺めた空と建物は
絶好のバランスを保っていました。

次に案内されたのが、『花頤(HuaYi)軒』でした。

『頤』という文字を知りませんでした。
北京の名所で、世界遺産の《頤和園》には行
ったことがありましたが、その文字です。
日本語では《おとがい》と読み、下あごの意味
とのこと。
中国の字典で調べるとようやく《休養、保養》
の意味があることが判りました。

建物の内部です。
ガイドが付いてはいるものの、言葉が判らないので無意味です。

『花頤(HuaYi)軒』の直ぐ隣の建物です。ここの彫り物は素晴らしかった。

肉厚で彫り物に奥行きがあります。

富山県の井波は《欄間》で名高く、そこでは表と裏と絵柄が異なるものもあります。それは100万円を余裕で超えます。

建造物は素晴らしいものばかりでした。

村で見つけた生活臭のする物を2点紹介します。

これは《わた》です。最近では田舎の子供でさえも知れないかもしれません。

これは《豆腐》です。角切りにして乾燥させています。多分、保存食でしょう。

オネエサンのガイドに導かれて《思渓(SiXi)》の集落を見て廻りました。整然とした集落で古い建物などがいい状態
で保存されていました。
最近は《古鎮》と言っても観光用で、生活は別の場所というケースも多々あるのですが、ここ《思渓》はそれらとは異
い正に生活の場でした。

1時間程で四輪を降りた場所に戻ると車が待っていました。ドライバーに促されてオネエサンに10元支払って標識のある橋
の袂まで送り届けられるとバイクのオニイサンが手持ち無沙汰で待っていました。乗用車に乗れたのも束の間で再び風を切
るバイタクでのツアーに戻りました。

次は何処かなと思っていると、美しい橋があるというので10分程バイクは走って降ろされました。

橋に特に名前等が付いている訳ではなく、川で洗濯をする姿を眺めただけでした。

時間は昼時になっていました。直ぐ近くの比較的大きな集落の『清華』で昼食です。

バイタクの運ちゃんが通りにある一軒の食堂でバイクを停めました。

《天天農家風味餐館》と読めました。

促されるまま私が選んで注文したのは、豆腐料理と干し肉とヒジキ(?)の料理の2点でした。

バイタクの運ちゃんと二人での昼食です。一般的に中国人は白いご飯をかなりの量を食べます。二人分で40元でした。

昼食後、再出発です。行き先はバイタクの運ちゃんに任せてあります。

《清華》の集落から15分ほど走って危なげな橋で降ろされました。促されて往復しましたが高所恐怖症の人には無理でしょう。
何しろ欄干がなく薄い板には隙間がありますから。(何故、運ちゃんがこの橋を見せたかは未だに判りません。)

その後にバイタクの運ちゃんが連れて行ってくれたのは、《沱川郷》でした。

『沱(Tuo)』という文字は日本では用いられません。中日辞典によると『川の入江(多く地名に用いる)』とあります。

初めは沱川郷篁村です。

先ずは《橋》です。

つぎは《大樹》です。

根元に貫禄があります。

そして《篁村》の集落。

池の周囲は住民に憩いの場所を提供していました。

バイタクの運ちゃんが道案内をしてくれるのですが言葉が判りません。でも、撮影に来た旅行者が居たのである程度有名な場所なのでしょう。

建物の額の中の文字を加工してみました。でも意味不明です。

私の好きな路地です。

沱川郷の篁村を後にして20分程度走りました。
小学校があり、《沱川中心小学》との名がありま
したから沱川郷の中心の集落なのでしょう。

実に美しい集落でした。

グループで集落を写生していました。

珍しいものを見つけました。カボチャを乾燥させていました。日本には乾燥カボチャはありませんね。

午後3時頃に《沱川》を出て約1時間位走って同じ《沱川郷》の《査平坦(垣?)》という集落へ連れて行って貰いました。

山の中で、『天上人家』と看板に書かれています。
上の看板と私が撮った写真は同じ場所からの様ですね。(これもバイタク運ちゃんの
徒歩での案内です)

きょうの泊まりはこの集落でした。

宿です。『郷村旅社』という看板が掛かっていました。

こんな山の中でもネットが通じていました。

ロビー(?)に自由に使えるパソコンが置い
あり、ネットが通じたのには驚きました。

 考えてみると、携帯電話が通じる所で
 その電波を利用すると料金は別にして
 ネットを使うことは可能ですね。


PCをいじくっているのはバイタクの運ちゃん
です。
不思議なオッサンでした。

左の写真の奥の少し開いているドアの所が私の部屋でした。

ところが、寒くて寒くて堪らないでいると《火鉢》を持って来てくれました。日本の火鉢とかなり形状が違いますね。

夜、トイレに閉口しました。
トイレは建物の外で、そこまで辿り着くのが大儀でした。電気が無いのです。仕方なく1度目は草むらに放出せざるをえません
でした。2度目は幸いにも月が出ていて、月明かりでトイレの場所が確認できました。

でも、折角自分の体温で温まった布団を抜け出すのはかなりの勇気が要りました。

翌日、12月14日は爽やかな目覚めでした。
別棟に泊まっていたバイタクの運ちゃんがやってきて朝食を食べに行こうというので宿の別棟へ行きました。

この集落には『食堂』というものは見当たりませんでした。また、一般的にどこにでもある『ヨロズヤ』もないようで、バイタクの
運ちゃんにビールを買いたいと言うと一軒の民家へ連れて行ってくれて、そこで大瓶を2本買い求めました。6元でした。

宿で頼べば夕食は何とかなったでしょうが、どんなものが出てくるか分からないし、バイタクの運ちゃんと二人というのも面白
くないので非常食用の手持ちの焼き鳥の缶詰とビールで夕食としました。

その後、火鉢の部屋で布団にくるまっているとドアが叩かれました。どうやら宿の主人と運ちゃんが食事か酒を勧めに来た模
様でしたが面倒なので応答せずにいると暫くして去っていきました。

こうして山の中の一夜は過ぎていきました。

朝食の用意ができていました。

切り干し大根と野菜類の煮物、それにゆで卵とお粥でした。バイクの運ちゃんと一緒です。
隣のテーブルの半分写っている緑のジャンパーの若い女性は、後から判ったのですが、私と同じようにバイクをチャーターしてこの
地区の村落を写真を撮りながら巡っているひとり旅の女子大生でした。

私のバイクの運ちゃんはよく食べました。

朝食代は一人6元でした。二人分12元をその場で支払いました。

昨日、チェックインする際に宿泊料金を訊ねると、118元とのことでした。
118元とは場所柄を考慮すると異常に高い宿泊料です。それに泊まった寒い部屋やトイレも外、シャワーもなし、朝食は
別料金・・・等々を思うと聞き間違えだったかなと思ったほどですが、出発の際に請求されたのは118元でした。

多分、運ちゃんとの2人分だったのでしょう。そう考えると、多少高いなという思いはあるものの納得しました。

12月14日(水)、2日目のバイクでの古村落巡りに出発です。
昨日の道を戻り、そして別方向へと約1時間半ほど走って或る所へ到着しました。

運ちゃんの先導で集落の中へと入っていきました。

もうかなり食傷気味になっていて村落の名を敢えて記録しませんでした。

次は15分位走って、『漳村』村へと案内されました。

もう何処を案内されても
同じような建物で感動も
ありません。

意を決して、『ここでおし
まいにしよう』と運ちゃん
に伝えました。

そして、《婺源》へ戻りま
した。

実質1日半の古村落巡り
は終了したのでした。

きょうは《婺源》で泊まることにして、ホテルが多くありそうな地点でバイクを降りてお金の精算をしようとしました。
そこで大問題が発生しました。ひと悶着です。

運ちゃん
門票 60元 260元 200元
12/12 100 100
12/13 100 100
260元 460元 200元

運ちゃんに200元支払ううと、門票代としてあと200元よこ
せというのです。門票代は昨日の思渓で言われるままに60
元、既に支払ってあります。

私は何度も、バイク代200元で門票代60元というからそれ
を昨日渡した、それで終わりだ、と主張しました。運ちゃんは
門票代は260元だと主張します。
議論は堂々巡りです。

彼から、『婺源旅遊公司』へ行こう、というので一緒に行きま
した。そこで、彼は《右》のボードを指し示して、この地区の門
票代はこんなに高いのだ、従い、あと200元よこせと繰り返
します。

よくボードを読むと、
  5日有効券 180元
  個別箇所券 60元
とあります。
そして、180元券でカバーされている箇所も記載されていま
す。

私は、こことここは行ったが、あとは行ってない。(実際に、門
票が要ったのは思渓だけで、他はゲートもなかった筈です)
彼は、5日券で行けない所も案内した、とも言います。

納得できません。議論は堂々巡りです。

私は、それでは公安(=警察)へ行こうと言いました。(こうい
うと彼がひずむと思ったのでした)
そうすると彼も行こうというではないですか!

二人で公安へ行きました。

受付のような所で彼が警官に訴えています。私も反論します。そのうちに、位の高そうな人物が出てきて、論争に加わってきました。
再度始めから互いに主張点を繰り返しました。
でも、警官も中国人ですからこちらの形勢は不利です。そして最後に警官は私に、支払ってやれよ、という様な事をいいました。でも
ここで引き下がるわけにはいきません。私は、『よし、領収書があれば支払う!』と言いました。今更領収書を取ってくることは無理と
思ったからです。意に反して運ちゃんもOKです。

二人揃って公安を出ました。すると、運ちゃんは、『100元でいいよ』とポツリ。結局、私の勝ちでした。、

きょうは《婺源》で泊まることにしていました。

安いホテルを探しました。60元+暖房代10元=70元でした。

站次 站名 到达时间 开车时间 运行时间 里程
1 始发站 16:02 0公里
2 横峰 16:31 16:35 29分 48公里
3 弋阳 16:47 16:51 45分 65公里
4 17:11 17:16 1小时9分 95公里
5 17:40 17:52 1小时38分 116公里
6 东乡 18:19 18:22 2小时17分 157公里
7 进贤 18:50 18:59 2小时48分 196公里
8 向塘 19:37 19:55 3小时35分 232公里
9 吉安 22:41 22:45 6小时39分 430公里
10 1:07 1:11 9小时5分 616公里
11 惠州 6:27 6:32 14小时25分 1012公里
12 7:12 7:15 15小时10分 1066公里
13 广州 8:16 终点站 16小时14分 1152公里

可もなく不可もない
ホテルでした。

站まで乗ってきたのと同じ路線のバスで街中に戻ってホテルを探しました。
宿泊代金が結構高く、3軒目ぐらいでようやく120元というホテルを見つけました。

12月15日(木) きょうは明日の列車で出発点に戻るべく《上饶》へ移動です。

1元の公交バスで12月13日に到着した汽車站(バスターミナル)へ行きました。バスの発車時刻は着いた時に既に調べてあります。

この文字の発音が解りませんでした。
或る所の看板でようやく知りました。

バスは09:30発で54元でした。

09:30発車で3時間半後の13:00に上饶に到着しました。

ここでは明日の汽車を待つだけで何もすることが無いので1元のバスに乗って鉄道站の偵察に出掛けました。

何も無い所に站がありました。鉄道站の周辺の雑多な雰囲気の中のホテルに泊まりたいと思っていただけに拍子抜けです。

見るからに《新站》という雰囲気です。

鉄道站のバスにこのような路線がありました。ということは、旧站
が手狭になり、ごく最近に新築移転したものなのでしょう。

食事に出る気にもならないので、ホテルの向かいのスーパーでビール3本と
おつまみ、加えてパンを買ってホテルの部屋で過ごすことにしました。

12月16日(金) いよいよ戻る日です。いつもながら《帰れる》という思いで心がウキウキします。

列車は定刻の運行でした。12月17日(土)の朝7時過ぎに出発点の《東莞東站》に到着しました。

年 月 日 行  程 手  段 交 通 費 保険・他 ホ テ ル 食費、他
11.12.11 日 市内バス 2 味千拉面 20
東莞東→ 鉄道 133 5
11.12.12 月 →南昌→景徳鎮 鉄道 47 ビール(2本) 6
煙草 5
138 2
11.12.13 火 景徳鎮→婺源 バス 30 1 門票 60
昼食(2人分) 40
バイタク(1日目) 100 煙草(2箱) 10
案内人 10
118 ビール(2本) 6
11.12.14 水 バイタク(2日目) 100 朝食(2人分) 12
ビール(3本) 12
煙草 50
70 追加門票 100
11.12.15 木 婺源→上 市内バス 1 パン 8
バス 54 スーパー1 12.8
市内バス 1 スーパー2 29.7
市内バス 1 120 煙草 5
11.12.16 金 火車站へ 市内バス 1 煙草 4
饶→鷹潭 鉄道 19 炒飯 7
鷹潭→ 鉄道 146 5 2
11.12.17 土 →東莞東
合計 635 11 446 401.5
総合計 1493.5
日本/中国は別途 (人民元)

中国語ですが今回の旅の追加資料を付けて
おきます。ご興味のある方はご覧ください。
       

クリック

如何でしたか、今回の旅は?

江西省自体が日本人にとっては馴染みの薄い省です。その上、
明代・清代の古村落というテーマも地味なものです。実際に廻っ
ていて食傷気味になり飽きてきました。

是非他のテーマも含めて企画・立案されることをお勧めします。

《今回の日程と所要経費一覧》